遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

日本軍兵士/吉田裕

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日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実  吉田 裕  (著) 中公新書


太平洋戦争での日本人死者は、民間人が80万人、軍人・軍属が230万人の計310万人。そして、その9割が戦争末期、1944年以降のわずか1年ほどのあいだに亡くなったと推算されるという。

兵士は、敵の攻撃に遭って死ぬだけではないことがここに書かれている。餓死、病死、自殺者の数の方が、戦闘での死者より多い。そしてあろうことか、「処置」として、病気や傷ついた兵士たちが医師により抹殺されていた。

また、栄養剤として注射器の中に、覚せい剤をこっそり潜ませて静脈に移して、戦意高揚を図っていたという。そのくせ、傷ついた兵士への痛み止めのモルヒネが、医師や看護師の気分高揚のために盗用されていたケースも少なくないという。

覚せい剤は、戦後ヒロポンなどに化かされて合法的に医薬品として販売されていた。本書を外れるが、覚せい剤の常用は、戦中に軍医によって「元気薬」として処方されていたことに端を発するとしたら、今の覚せい剤騒ぎはお上が始めたイケナイことなんじゃないだろうかという思いを強くした。また、ヒロポンが販売禁止になったことに端を発して、製薬各社が「元気薬」ドリンク剤を発売し出したとしたら、昨今のドリンク剤ブームは官製の戦意高揚の名残なのかもしれない。

前近代的な戦争であった日露戦争にたまたま勝利した日本は、そのままの気分と体質で赤子の手をひねるように容易に中国大陸を侵略したが、中国人の粘りと団結力を甘く見ていた。上官や先輩兵士による、初年兵など下級兵士への壮絶な私的制裁(リンチ)で、軍は統率できるとでも思っていたのだとしたら、大きな間違いだったといえよう。悪を滅ぼすという目的を一つにしたチームワークに対しては、目的意識の希薄な日本チームにもたらされる結果は明らかであろう。

また、中国軍に対しては軍備は一日の長があった日本軍は、アメリカの軍備の凄みを想像できていなかった。さらに、武器ではないが兵士や弾薬や食糧を運ぶ軍用トラックも、当時のトヨタとフォードやクライスラーとの能力差はどうしようもなく歴然としていたという。加えて、占領地に飛行場を造るブルドーザーなどのツールや滑走路の仕様も、もちろんのこと飛行機の性能自体も、お話にならないのだった。

テレビ映画の「コンバット」や、映画「プラーベート・ライアン」を思い出すと、アメリカ兵士たちは手に持った自動小銃と弾帯(銃弾を収納した帯)を身に着けるだけで戦地を行軍していた。きっと、彼らの目的地には、フォードのトラックが彼らの必要な身の回り品のすべてを既に届けていてくれるのだろう。しかも、アメリカの壮大で肥沃な国土からは、食糧や鉱物や石油が有り余るほど生産されるのである。

一方、わが日本軍の平均体重が50キロ台の兵士が持つ背嚢(リュックや食糧や荷物)は、30キロから40キロもあったという。軍靴は、縫い付け用の糸が弱くて使い物にならない代物だったという。重い荷物持って腹を減らしてジャングルを素足で歩く兵士たちは、いったいそこで何をしていたのだろう。戦っていたのは、マラリヤと水虫と自らの内なる部分だけだった。(水虫は、平成の世になって完治したという元兵士もいた。)

日本が自決するために始めた戦争だったとしか思えない先の大戦は、史上最も愚かな選択であった。その愚かしい稚拙な歴史の実態が、戦争を見てきた日本軍兵士の体験記が多くを占める280ほどの参考文献を元に、僅か216頁に濃縮されて本書にまとめられている。戦争の闇を語る兵士らの証言の多くが、文献として靖国神社靖国偕行文庫)に残されてもいる。

著者は一橋大学名誉教授の吉田裕で、専門は日本近代軍事史・政治史である。靖国偕行文庫に通って上梓した本書は、現代の日本国民にとって輝かしく有益な著者の業績の一つだといえよう。