遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

玉蟲先生像/安井曾太郎

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  玉蟲先生像 安井曾太郎 1934年 油彩  48×39cm 東北大学資料館蔵

私の小学時代や中学時代は、絵や習字の良い作品は校舎の廊下や玄関の掲示板に張り出された。私は、上級生のそれらの作品を見るのが大好きだった。私の近所の2学年上の美人で大人しいつう子ちゃんは、絵と習字がとても上手でいつも貼り出されていた。私の小学校の担任もよくつう子ちゃんの作品をほめていた。

私、字も絵も時々偶然にとてもいい作品が制作できることがある。小学校の担任は、牛で耕地する人と田園風景を描いた私の水彩作品を、自分がもらってずっとそばに置いておくと言って返してくれなかった。美術学校で言えば「学校買い上げ作品」のようなものかな。あの絵まだ持っていてくれるのか、年賀状で尋ねる勇気もない。

中学生になって、1年時の担任をモデルに描いた鉛筆スケッチが、玄関に張り出された。椅子に腰掛けたN先生の横顔と全身の、短時間で仕上げたクロッキーに近い作品だった。我ながらとてもよくできたと思っていた。職員室でおーいと教頭に声をかけられ、その作品をほめられたこともよく覚えている。その教頭は、元美術の教員だったという。

さて、「二科100年展」から、今日ご紹介の一枚は、安井曾太郎の「玉蟲(たまむし)先生像」。

1914年(大正3年)に、現在の「日展」から分かれて結成された「二科展」。フランス帰りの安井は、1915年の第2回展から出品している。

この世にも有名な作品のモデル玉蟲一郎は、旧制第二高等学校校長を務めた人物。その縁でか、現在は東北大学資料館にこの作品は所蔵されている

安井曾太郎1888年-1955)は、40代半ばの1934年、この作品を第21回展に出品している。翌年には二科会を脱退しているので、安井としては二科展での最後尾の出品作となった。

このスピード感のあるタッチは、モデルを表現するのではなく、安井曾太郎の才能を表現していると言ってもいいだろう。当時「古今未曾有の肖像画」と激賞されたそうだが、まったく異論はない。

二科展の100年の歴史を飾る代表作と呼べる名作である。この無垢な作品は、ひとを幸福にさせるのである。


「伝説の洋画家たち 二科100年展」 
大阪展     ~11月1日まで 大阪市立美術館で開催中
福岡展 11月7日~12月27日まで 石橋美術館(久留米市)で開催