遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

白痴/黒澤明

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白痴
監督 黒澤明
出演者
配給 松竹 公開 1951年5月23日 上映時間 166分

春からケーブルテレビで企画されている黒澤明全作品放送。今回は、初めて見たドストエフスキー原作の映画化「白痴」のレビューであります。

原作者ドストエフスキーは、「真に善良なる人間を描きたい」と言っている。その言葉を本作の冒頭に黒澤明は文字で紹介している。そして、「この世で真に善良であることは、白痴(バカ)に等しい」と表現している。

フェデリコ・フェリーニがお気に入りの黒澤作品は、「羅生門」と「白痴」なのだそうだ。フェリーニの「道」の主人公ジェルソミーナと、本作の主人公森雅之の演じる青年は、その善良なる透明感が酷似している。黒澤作品の「どん底」の左卜全が演じた巡礼する老人にもよく似ている。

黒澤作品の初カラー作品「どですかでん」に出演した芥川比呂志の演出で、黒澤は“まばたき“をさせなかった。本作の森雅之も、ほとんどまばたきをしない。
森は、天使のような(今でいうと草食系男子)障がいのある青年を演じているのだが、まばたきをさせないことで、周りの人間から際立たせている。
本作を見ていて、森雅之がなぜ他の人たちと異次元の世界にいるように感じるのだろうかと不思議に思ったが、そのまばたきをしない表情一つで、別世界の人間のような印象を与えるのだと気付いた。そういえばと、「どですかでん」での芥川比呂志のまばたきエピソードも同時に思い出した。

皮肉にも、障がいのある青年森雅之だけが、善良な神の子のように描かれていて、周辺の人間たち、ことに女優陣がエキセントリックに仕立て上げられていることは特筆に値する。原節子久我美子東山千栄子千石規子たちが、黒澤の演出にかかると、こうも凄味のある女に変身するのかと驚かされる。
ひときわ印象深いのは、すでに当時の大御所女優原節子(31歳)を向こうに回し、目力で正面切って勝負した久我美子(20歳)のすごい演技。当時の20歳はすごいものである。
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ちなみに、名前のクレジットがない松竹の新人女優岸恵子(21歳)は、さすがにまだパワーもセリフも与えられずに、柔和な顔でスクリーンの中を行ったり来たりしていた。

また、三船敏郎千秋実志村喬左卜全など男優陣は女優たちの圧倒的パワーに翻弄されて、強がってはみるもののやさぐれたりしょぼくれたりするのが精いっぱい。病気からの発作が出ていないときの森雅之だけが、何があっても決して怒らず高みに居て、その悠久の愛で女優陣のパワーをいなすのであった。

本作のロケーションは、雪深い冬の札幌で行われたそうで、さすがにあの降り積もった大量の雪に抱かれた街はセットではないだろう。
この不気味な物語は、寒風吹きすさぶ吹雪の街以外では考えられない。

ヒットもせず評価もされなかった本作のようだが、フェリーニに支持されるほどの力作である。本作は、1部と2部に分かれている。本来は2本の作品のつもりで撮影したのだが、松竹の経営陣にずたずたにカットされたようだ。
カットされて1本の166分の対策に仕上がったのだが、一気に大作を征服するのは大変だった。私は録画したものを3回くらいに分けて行きつ戻りつしながら鑑賞した。