遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

東京大空襲から70年

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1945年(昭和20年)3月10日の未明、約300機のアメリカ軍爆撃機B29による東京下町地区を目標にした無差別爆撃で、人口過密地帯は火炎地獄と化し、罹災者は100万人をこえて、推定10万人もの尊い命が失われました。3月10日を含め、東京は100回以上もの空襲を受けて、市街地の5割を焼失したのです。
http://www.tokyo-sensai.net/index.html 「東京大空襲・戦災資料センター」ホームページより)

東京大空襲(とうきょう だいくうしゅう)は、第二次世界大戦末期にアメリカ軍により行われた、東京に対する焼夷弾を用いた大規模な戦略爆撃の総称。日本各地に対する日本本土空襲、アメリカ軍による広島・長崎に対する原爆投下、沖縄戦と並んで、都市部を標的とした無差別爆撃によって民間人に大きな被害を与えた。空襲としては史上最大規模の大量虐殺とされる。
東京は1944年(昭和19年)11月14日以降に106回の空襲を受けたが、1945年(昭和20年)2月26日,2月28日特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日の5回は大規模だった。その中でも「東京大空襲」と言った場合、死者数が10万人以上と著しく多い1945年3月10日の空襲を指すことが多い。この3月10日の空襲だけでも罹災者は100万人を超えた。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2 ウィキペディアより)


ちょうど70年前のいまの時刻、1945年3月10日未明、東京市部は火の海と化していた。
ゲルニカドレスデン重慶、東京、名もなく罪もない多くの市民が、歴史的な大空襲で命を絶った。そして、広島、長崎への原爆投下と続いていった。

今来日中のドイツのメルケル首相は、東京大空襲をご存じだろうか。きっとご存じであろうが、念のため、誰かが70年前の今日の東京のようすをメルケル首相に短く伝えてほしいものである。彼女は、ああいう世界に二度と戻らないために、昨日はロシア今日は極東と、精力的に世界を駆け巡っているのだと思う。

東京大空襲はなかった」などと言うものは出てこないとは思うが、いつまでも忘れないでいただきたい。