遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

きょうは「愛と希望と勇気の日」です。ガンバレ受験生

きょうは「愛と希望と勇気の日」なんだそうです。

東京新聞の「#きょうは何の日Twitterで知りましたが、南極で置き去りにされたタロとジロが1年後に生きて発見された1959年1月14日にちなんだ記念日なんだそうです。生きることへの希望と愛することを忘れないための日とされているようです。

一昨日、1月12日の同じく東京新聞の「#きょうは何の日」を「へーっ」という思いで目にしました。これは、後述しますが、その他の非も含めて面白エピソードの今週の「#きょうは何の日をご紹介します。

東京新聞ノコト@choukanne
1月14日
きょうは #愛と希望と勇気の日
1958年2月に南極の昭和基地で、やむを得ず置き去りとなった15頭のカラフト犬。翌年1月14日、第3次南極観測隊が兄弟犬のタロとジロを発見しました。

〇「愛と希望と勇気の日」は、きょうだけでなく365日毎日のことでもあることを確認したいです。
ところで、「タロ」「ジロ」は、なぜ「タロー」「ジロー」じゃないんだろうかと子どもの頃不思議に思っていたのですが、いま思い当たる節がありました。越冬中、あまりにも厳しい寒さから「-」が凍ってどこかに落としてしまったようでした。

1月13日
きょうは #東京の最低気温観測日
気象庁の前身、東京気象台が設置された最初の冬の1876年に氷点下9.2度の最低気温を記録しました。日本の最低気温は1902年の旭川市で氷点下41度です。

〇これまた子どもの頃思ったことですが、当時の日本最高気温が山形での40.8℃(1933年7月25日観測値)が不思議でした。まだフェーン現象のことも知らなかった子供で、東北でそんなに暑くなるのが不思議だったのです。その日本最高気温は、74年後(2007年)に更新されてしまいました。
東京都では、1876年の1月13日に都の最低気温を記録していたようですが、マイナス9.2℃がいま観測されたら東京はパニックになるでしょうね。
旭川が持つマイナス41℃‼という記録は、更新されないレベルの寒さです。

1月12日
きょうは #大相撲のラジオ中継開始
1928年のこの日、大相撲のラジオ中継がNHKで開始。放送時間内に取組を収めるため、それまで無制限だった立ち合いの時間が10分と決められました。

〇1928年といえば昭和3年ですから、すごい歴史です。昔は、力士が気力が充実してタイミングが合えば立ち合っていたようですから、ずいぶんと悠長なことでした。相撲は、もとをたどれば神事ですから、そんなもんでしょうか。それにしても10分になった制限時間でも長いですね。塩を蒔き続けている10分間にアナウンサー派内を喋っていたのでしょうか。妻曰く、土俵は塩で真っ白状態?だったのでしょうかね。昭和30年代のテレビの大相撲中継も、制限時間は今の4分よりもかなり長くて、塩蒔き時間が長くて退屈だったことを覚えています。

1月11日
きょうは #鏡開き
 お正月の間に年神様の依(よ)り代(しろ)として飾っておいた鏡餅を下げ、1年の無病息災を願っていただきます。餅は切らずに手や木づちで割って雑煮や汁粉にします。

〇ここに書かれた鏡開きは、あまり一般的ではないような気がします。1月15日に正月のしめ飾りや門松などを燃やす「とんど焼き(どんど焼きが一般的)」で、正月飾りの餅も焼いて食べていました。かつては、1月15日成人の日で祝日・成人式・とんど焼(各地で左義長火祭り)がセットになっていて、子ども心にも楽しみな日でした。

1月10日
きょうは #糸引き納豆の日
 全国納豆協同組合連合会が制定。いと(1・10)の語呂合わせと、受験の時期に糸引き納豆の特徴の粘り強さで合格を祈念する、という思いが込められています。

〇きょうから「大学入学共通テスト」が始まりました。受験生諸君は、納豆のように粘って粘って!がんばっていただきたいものです。

1月9日
きょうは #とんちの日 #クイズの日 
日付はとんちで有名な「一休さん」にちなんで「いっ(1)きゅう(9)」の語呂合わせから。一休さんは、室町時代中期の臨済宗の僧・一休宗純です。

〇ずっとうちの図書館に買入れされていなかった「君のクイズ」という本。きょうの朝日新聞書評欄のベストセラーとして紹介されていたので、図書館で検索してみたら購入されていました。しかし、すでに15人待ちで残念。追加購入してくれることを望んでいます。
昔はクイズ番組は花盛りで、私はことのほかクイズ番組が好きでした。いまクイズ番組はあまりないのかな。

1月8日
きょうは #平成改元の日
 1989年1月7日、昭和天皇崩御し、明仁親王が新天皇に即位。元号法に基づき「元号を改める政令」が公布され、翌日から新元号「平成」に改元されました。

〇私は、昭和の最後の日に旅に出て、平成最初の日に自宅に戻ってきました。元々予定通りの1泊2日の行動でしたが、温泉場は泊り客が少なくてなかなか印象的な旅行になりました。
あっという間に過ぎ去った平成時代でもありました。

ということで、いろんな記念日の1週間でした。

きょうだけでなく愛と希望と勇気の日」が総ての人に毎日意識され継続されることを祈る今日この頃であります。