遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

この世の花/島倉千代子

池内淳子が主演の「新妻鏡」という映画があった。高島忠夫も出ていた。ネット検索してみると1956年の映画だった。私は1960年代に、テレビでこの作品を見ていた。まだ小学生だった。
 
初めて見るお姉さん池内淳子(23)が、まばゆいばかりに美しくて、子ども心に心がときめいた。
この映画と同名の主題歌を歌ったのは、島倉千代子だった。(1940年の山田五十鈴主演の作品は、霧島昇と二葉あき子が歌唱)
 
この映画には、「新妻鏡」の作曲者である古賀政男(52)が島倉千代子(17)を伴って出演していた。
私の記憶では、レコード会社のスタジオだか廊下だかで、古賀が誰かに「この子が島倉君です」といったような紹介をする。振り袖姿のすらっとした少女が「島倉千代子です、よろしくお願いします」みたいなワンシーンだけの出演だったと記憶している。
 
私がテレビで「新妻鏡」を見た60年代、島倉はすでに国民的大歌手で、この映画で若き島倉に出会って、とても印象的だったので、いまだにそのシーンを憶えていた。
 
島倉は、この映画の前年、1955年に16歳で「この世の花」でデビューして以来、亡くなるまでずっとスターだった。
1953年生まれの私は、生まれてからずっとこのスターを見てきた。映画で見た17歳の島倉千代子のままの気質の一生だったような気がしてならない。歌以外は不器用で…、みたいな一生だったのかもしれない。
 
今日の「ぼくうた」は、その彼女のデビュー曲「この世の花」(作詞:西條八十、作曲:万城目正)。これも同名の映画の主題歌である。主演は、淡路恵子(22)。
 
島倉千代子が亡くなった今聞くと、「この世の花」の歌詞もメロディーも歌唱も哀愁がただよう。
この名曲を、昭和の歌姫16歳の島倉が歌い、売り上げは200万枚を記録したという。彼女の代表的な、私の最も好きな1曲である。哀しいのに癒されるのは、哀しく歌わない島倉千代子のなせる業だと思う。
謹んでご冥福を祈る。合掌。
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