私と森繁久弥と出会いは、1964年のTBSのTVドラマ
「七人の孫」であった。
この年は、東京オリンピックの開催年で、
私の生涯でもっとも輝いていた楽しい時代でもあった。
時に小学5年生で、何の悩みもないおばかな小学生が、
「七人の孫」はとてもとても楽しみにしていたドラマであった。
森繁は当時まだ50歳で、かなりの老け役をしていて、
七人の孫がいて、彼らとの交流を描いたドラマであった。
そこで、ネットで調べる前に「七人の孫」誰だったか思い出していた、
と名前が出てこないきれいな女性の七人。
40年前の記憶はいい加減なもので、正しくは、
の七人だった。
あとの3人はまったく記憶にない。
きっと11歳の子ども(私)には印象に残らなかったのだ。
稲垣は出演していたが、孫役ではなかったようだ。
実は当時のもうひとつの楽しみで好きだったドラマ「ただいま11人」
の出演者と混同していたのであった。
実に9人の子どもたちがいるという設定のホームドラマであった。
などが出演していたようであるが、すべてが山村と荒木の子ども役だったのか、
池内や山岡は違うような気がするが、はっきりした記憶がない。
ともに両巨匠脚本家の初期の代表作である。
ドラマのTBSと呼ばれたのは、この頃からか、
戦後20年ほど経った勢いのある時代に、ほんわかとしたホームドラマ全盛時代でもあった。
「七人の孫」では森繁はいい気な老人で、
お手伝いさん役の悠木千帆(のちの樹木希林)や、
森繁久彌は二枚目ではなかったが、
いかにも大阪生まれといった感じの、
柔らかい感じのユーモアのある、洒脱な俳優さんであった。
その真骨頂であったと思う。
彼は生涯、愛されるボケ役だった、
ちゃぶ台ひっくり返すような頑固おやじ役は、似合わない人だった。
「知床旅情」の歌詞にも彼の垢抜けた、その洒脱な感じがよく表れている。
旅の情(なさけ)か 酔うほどに さまよい
浜に出てみれば 月は照る波の上(え)
君を今宵こそ 抱きしめんと
岩かげに寄れば ピリカが笑う
ご冥福をお祈りする(合掌)。