遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

ポートレイト・イン・ジャズ/ビル・エヴァンス

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ポートレイト・イン・ジャズ ビル・エヴァンストリオ

曲目
1. 降っても晴れても
2. 枯葉(テイク1:ステレオ)
3. 枯葉(テイク2:モノラル)
4. ウィッチクラフト
5. ホエン・アイ・フォール・イン・ラヴ
6. ペリズ・スコープ
7. 恋とは何でしょう?
8. スプリング・イズ・ヒア
9. いつか王子様が
10. ブルー・イン・グリーン(テイク3)
11. ブルー・イン・グリーン(テイク2)

1959年12月28日 NYで録音

パーソネル
1929年生まれのビル・エヴァンスは1980年に51歳で亡くなっている。
ニュージャージーで生まれたエヴァンスは、幼少時から徹底的に音楽教育を受けていたという。
しかし、1958年にマイルス組に入って身につけた音楽性は、彼の生涯に大きな影響を与えたという。

徹底的に白人に厳しかったマイルスが、自身の自伝で二人のエヴァンスだけは例外扱いをしている。
それは、作曲家で編曲者であるギル・エヴァンスとピアニストのビル・エヴァンスであった。
彼らがお互いに刺激を受け合ったことは、独り立ちしてからのエヴァンスのアルバムが証明しているであろう。
もちろん、その後のマイルスのアルバムでも証明されている。

その第1弾が、リバーサイド・レーベルで録音されたこの「ポートレイト・イン・ジャズ」。
エヴァンス(30歳)~ラファロ(23歳)~モチアン(28歳)のトリオとして最初のレコーディングであった。

ライナーノーツに掲載されていたポール・モチアンの話によると、このトリオにリーダー的存在はなく、
普段から「ここはこうやったらどうだろう」などとアイデアを出し合って常に意見交換をしていたという。
しかし、音楽性の方向感を「あのアルバムのような感じで」とか、
この曲は僕はこう弾くから君はこんな感じでやってくれという話し合いはなく、
演奏がはじまると自然になすがままに演奏していたという。

「8. スプリング・イズ・ヒア」は、ヴィヴィッドでスリリングで楽しい演奏だが、
その他の曲はおしなべて、ゆったりと幅の広い思索に富んだアイデアに満ちた演奏群である。
モチアンの話のとおり、自然に演奏していたのだとすると、彼らはまさに天才的なプレイヤーである。

BGMとして流していても、どこからも文句のこない演奏群であるが、
じっくりと一曲一曲聴き込んでも、破たんのない自由で豊かな演奏が楽しめる。

「輝かしい」「重要で、かつもっとも創造的」「探究的で、豊かな音色」
「穏やかで、チャーミング」「斬新で魅力に富んだ生命観と豊かさ」
といった言葉が、このアルバムが発表された時、エヴァンスへ批評家たちから発せられたという。

その魅力は今も健在である。