遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

8月15日の天声人語

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今朝もいつものように、天声人語を読みながらトーストをかじっていたら、
涙がこぼれそうになって困ってしまった。

大戦で命を落とした若者に触れるたびに、そういう気持ちになる。
歳を重ねて涙もろくなってきたが、若い頃から戦争で帰らぬ人を思うたびに涙するのは変わらない。

戦没学生の遺稿集『きけ わだつみのこえ』(岩波書店)にも歌がある。〈激しかりし敵火の中に我と生きし邦子(くにこ)の写真眺めつ想(おも)う〉。早大を出て、敗色漂う1944(昭和19)年秋からフィリピンなどを転戦した陸軍中尉である▼新妻への手紙には「何百枚でも邦子の写真が見たい」とある。その人を二度と抱くこともなく、24歳の彼は鹿児島沖で戦死した。愛する者への思いに今昔はない。これを軟弱とさげすむ世には戻すまい

それから、女子高生の見事な歌にも唸った。
芸術活動、たとえば、歌を詠んだり詩をつくったり楽器を演奏したり絵を描いたりしていると、
戦争を許してはいけないという感性になっていくことを、この女子高生の歌は証明しているような気がする。

本紙が募った「八月の歌」の入選作に、〈赤紙とおびただしい血と燃える火と赤、赤、赤のノンフィクション〉がある。愛知県立起(おこし)工高3年、長野薫(かおり)さんの一首だ。途方もない戦争の真実に絶句するのも、若い世代には貴い経験だろう

毎朝、次女は私と前後して天声人語を読んでいる。
今朝の一文が心に留まってくれることを祈るばかりである。

合掌。