【2007年のわが記事の再掲載】
朝日新聞の朝刊1面の連載、「折々のうた」が2007年3月31日で最終回を迎えた。連載が始まったのが、1979年のことである。我が家は私が物心付いた頃から毎日新聞を購読していたので、折々のうたは、リアルタイムで楽しんだわけではなかった。
1980年には連載の1年分をまとめたものが、岩波新書で出版された。20歳代半ばの私は、この1冊を夢中になってしっかり読んだことを思い出す。
たとえば、和泉式部のうた
しら露も夢もこのよもまぼろしも たとへていへば久しかりけり
白露・夢・この世・幻、みなはかない瞬時のたとえである。
だがそれらさえ、この短い逢瀬に比べれば久しいものと思える。
(中略)こういう歌をもらった相手の男も参ったろう。
げにも和泉は恋の歌びとであった。
続いて、柿本人麻呂
春さればしだり柳のとををにも妹は心に乗りにけるかも
「とをを」はタワワの母音が変化した形で、たわみしなうさま。
「妹」は愛する人、妻。
春になるとしだれ柳がたわたわとしなう、それと同様、
私の心がしなうほどに、いとしい妻よ、
わが心の上におまえは乗ってしまって。
この、「妹は心に乗りにけるかも」という表現は、万葉集で別のよみ人知らずのうたでも使われている。「恋人が心に乗ってしまった」という表現が、古代人に
かに好まれたかを示す一例だとして、大岡は紹介している。
人に勝らん心のみいそがはしき
熱を病む風景ばかりかなしきはなし
中原よ
地球は冬で寒くて暗い。
ぢゃ。
さやうなら。
草野の詩は、中原中也への哀悼のもの。
毎日毎日、6762回も、大岡は、言葉の贈り物を届けてくれていた。
(ここまで再掲載)
そして、2015年4月からは「折々のことば」が朝日新聞一面に登場した。
鷲田清一が選んできた珠玉の名言を毎日解いてくれる。
■折々のことば 20 2015年4月20日
「わからないもの」を受け容(い)れ、自分の中に未聞の言明や心性をむりやりねじ込んでゆく 内田樹(たつる)
わからないけれどこれは大事というものを摑(つか)むこと。「わかる」の意味はそこにある。「なんだかまるで分からないけれど、凄(すご)そうなもの」と「言っていることは整合的なんだけれど、うさんくさいもの」を直感的に識別できるようになれば、それだけで大学で学んだ意味はあるとも、思想家の内田さんは言っている。「東京ファイティングキッズ」から。
■19 2015年4月19日
わたしたちは絶壁が見えないよう、何か視界を遮るものを前方に立てかけたあと、安心して絶壁のほうへ走っている。 パスカル
ギアを入れ替えて速度変換、方向転換をしなければならない……。そういう危うい地点に自分たちがいることを知りながら、ひとはそうした危機に目をふさぎ、これまでどおりの惰性で、同じ道をひたすら歩もうとする。「成長」が社会のすべての問題を解決するというのも、そうした思い込みの一つなのだろう。「パンセ」から。
■18 2015年4月18日
夢でもし逢(あ)えたら 素敵(すてき)なことね 大瀧詠一
うんと遠く離れていても、瞼(まぶた)を閉じればすぐに逢える。それを楽しみに眠れたら、眠ることも素敵になる……。私が死んだら、もし葬式でもしてくれるなら、この曲を流してほしい。そう息子たちには頼んである。もちろん、差別を受けながらしびれるようなブルースを紡ぎだした黒人に憧れ、顔を黒塗りした愛すべき“まがいもの”たち、ラッツ&スターの歌で。
■17 2015年4月17日
人間には生きていく上でいろんな苦労があるよね、どの苦労を選ぶ? そのセンスを重視するのです。 向谷地生良(むかいやちいくよし)
live(生きる)を逆さにすればevil(禍〈わざわい〉)。一つの苦労が終わってもまた別の苦労にぶちあたる。どっちに転んでも苦労。だったら苦労を避けるのでも乗り越えるのでもなく、目の前の苦労とどう向き合うかを大切にしたい。北海道・浦河「べてるの家」のソーシャルワーカーは、発想を切り換えようという。
「天声人語」と、その左上欄の「折々のことば」を読むのに合わせて3分ほどの日常。日々のその営みが心を軽く豊かにしてくれる。