京都市の西部(洛西)に話を戻すと、
私は子どもの頃に、国道9号線上のこのあたりを時々バスで通過していた。
このあたりではいつも車窓から、洛西の竹林の景色が目に飛び込んでくるのであった。
洛西の竹林は、私が生まれ育った山里に点在する野放図な竹藪とは、
まったく趣の異なる、整備された空間であった。
子どもの私は、バスの車窓からこの美しい竹林を見ることがとても楽しみであった。
太くて背の高い孟宗竹は、光が地面に差し込む程度に伐採されており、
その地面には、枯れた竹の葉がみごとに敷き詰められていた。
まるで、黄金のじゅうたんのように光り輝いていた。
そんな光景を目にするのが楽しみなのだった。
春の筍(たけのこ)のために、手を入れられ清潔に保たれた場所だったと理解できたのは、
もっと大きくなってからだったが、幼い頃に見たあの光景はいまも忘れられないものとなった。
東山魁夷の「京洛四季」に「夏に入る」という1枚がある。
向日町、長岡、山崎といった京都の西に位置するかつての里山には、広範な竹林が存在した。
取り残した筍や、みずみずしい若竹を抱いた夏の竹林を描いたのが、
この涼やかな作品である。
魁夷は一貫して「京洛四季」では、「京の人の営み」を描きたかったのであるが、
この整備された清潔な竹林にも、丹念な人の営みが感じ取れる。
私が、バスで通りすがりに楽しみにしていた昭和30年代の半ばの洛西、
時を同じくして、その頃に東山魁夷も、竹の葉を踏みしめて洛西を歩いていたのである。
「夏に入る」は、私の想い出にあるままの、京の風景である。