遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

年暮る/東山 魁夷

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「年暮る(としくる)」   東山 魁夷

上の画像は、東山魁夷の「年暮る(としくる)」という名作(山種美術館・所蔵)。

39歳のときの作品「残照」で世にはじめて認められた東山は、遅咲きの人であった。

そして、自他共に認められる高みに達したかという55歳の東山は、憧れの地、京都を描き始めるのであった。
昭和38年(1963年)のことであった。

いまは建替えられて景観論争にもなったホテルが、京都市役所の東にある。当時は京都ホテルといい、魁夷は屋上から東に目を向け、大晦日の除夜の鐘が鳴り渡る京都の町を表現した。

手前を流れる鴨川も、後方に連なる東山三十六峰も省いて、家並みと人の営みをこの絵で表現した。

私は、本作の実物は見たことがないが、テレビではじめて見たとき与謝蕪村の国宝「夜色楼台図」に似ていると思った。
https://toship-asobi.hatenablog.com/entry/68653895

実際、この「年暮る」は「夜色楼台図」を意識して描かれたもののようだ。

作品中央から奥に見える、大きな屋根の寺院からの除夜の鐘を聞きながら、静かに新年を迎える人たちの営みが、魁夷の作品からうかがえる。

いつの世も厳かなものは、人たちの静謐な日々の営みである。

全体的に落ち着いたトーンに、少し緑を混ぜて温かみのあるブルーを表現し、ろうそく色の灯りが窓からうっすらと漏れる。

降り積む雪以外は、人工的なものだけを描いて、人間は一人も登場しないのだが、新年を待つ町衆たちの暮らしが見えてくる。

蕪村の、目にも留まらぬスピード感のある筆致の京都の夜とは対極にある、まるで機を織るように、まるで祈りを捧げるように色を置いていく東山魁夷の筆に、感動する。

岩絵の具をニカワで溶いて、絵の具を混ぜて色を作り、筆で紙に置いていく作業は祈りにも似た行為だと、本作品を見て感じた。祈りこそ芸術であろう。