うち6店が京料理の店であった。
ことほど左様に、関西の伝統的な和のテイストは、世界を魅了するのである。
「出汁(だし)を引く」という美しいことばだけで、
ぬれた石畳と暖簾にいざなわれる小宇宙が脳裏に拡がる。
「八朔の雪 みをつくし料理帖」
主人公の澪(みお)は、まだ十代の女料理人。
大坂の一流割烹で修行を積み、訳あって江戸に包丁一本で出て来た。
おそらく、彼女のサクセス・ストーリーになるはずのシリーズ第一弾が、この作品。
ピアニストのらぷさんに薦めていただき、シリーズ一冊目を読了。
澪は、関西の和のテイストを懐に、花のお江戸に乗り込んできたのだが、
ご当地のお客にその味がそのまま受け入れられないところが、
大きな壁であり、苦労のし甲斐でもあり、
そういった艱難辛苦の周辺に、おもしろい物語が展開されるのが世の常なである。
パリの★★★フレンチ・レストランが、そのまま東京に進出したって、
必ずしも成功するとは限らないところが、おもしろいところで、
住む人が違い、気温の変化が違い、湿度が違い、水が違い、食材が違うから、
その土地で苦労しないと、その土地で成功する味は作ることができないのだろう。
ストーリーは連続しているが、各章ごとにメイン・ディッシュが替わる。
田麩(でんぶ)・心太(ところてん)・茶碗蒸し・酒粕汁は、
どれをとっても私の大好物で、母親が亡くなってからは、
あまり食べなくなったものでもある。
それぞれメイン・ディッシュと呼ぶには違和感があるが、
この作品内でその存在感や大変なもので、
この作家は、物語を書くことと同じくらい、料理が上手に違いない。
新しい料理の試行錯誤&創作ディテールは、実践しないと描けないものだし、
その証に、巻末にはそれぞれのレシピまで付いている。
楽しんで読まれたし、読まれたら食されたい。
子どもの頃、母親の手伝いで、
かまどの灰を十能でさらえたり、
さんまを屋外で焼くために七輪に火をおこしたり、
収穫したばかりの大量のだいこんを川で洗ったりしたことを、
この作品を読んでいて、それらの状況やツールを思い出した。
つい50年ほど前まで、江戸時代のままの習慣を引き受けて、
私たちは生きてきていたのだと、感無量になった。
澪を取り巻く登場人物も、魅力ある心優しき人たちで、
店を任せてくれる爺さんや、澪をサポートしてくれる近所の夫婦や、
大坂から一緒に江戸に出て来たご寮さんなどなど、善人ばかり。
とりわけ、吉原のあさひ太夫なる花魁の素性たるや、
私の推理どおりのお方で、こうもすとんと話が収まると、
いくらへそ曲がりの天邪鬼の私といえども、
居心地のいい高田郁(かおる)ワールドなのであった。
いま一年でもっとも寒い日が続く、
ほっこり酒粕汁が飲みたくて仕方のない、今日この頃なのである。
先にこの本を読了したうちのカミさん、
以心伝心、そろそろ作ってくれるかなと期待している、