遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

トヨタのF1からの撤退

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トヨタがホンダに続いてF1から撤退する。


ホンダが今シーズンを前に、撤退を発表したときには、衝撃が走ったが、

スバルやスズキがWRC(世界ラリー選手権)から撤退し、

三菱も、パリダカールラリーに出場しないことを決め、

ついにトヨタよおまえもか、といった感じである。


ことほどさように、自動車外の経営は大変な時期に来ているのであろう。


自分達のチームが、レースに参戦しないことを発表する幹部たちの涙や嗚咽は、

苦渋の選択だったことを物語るだけではなく、

大勢のファンやスタッフの夢をかけた事業を、

置き去りにしなくてはならない悲しみが表れている。


私たちは、ホンダやスズキがマン島のレースで勝ったことを知らせる、

二輪の会社のTVCMで、レースの世界にあこがれるようになった。

イギリスはマン島での世界最高峰のオートバイレースで、

1961年にホンダが125CCクラスで、

1963年にスズキが50CCクラスで、

それぞれ初優勝していた。


そして1963年には、4輪の「日本グランプリ」が富士スピードウェイで産声を上げた。

イケメンの生沢徹や、2輪から鞍替えして参戦した高橋国光や、黒澤元治などが、

市販車を改造したレースカーで腕を競った時代であった。


当然ながら、当時は国産車輸入車の後塵を拝していて、

ポルシェやロータスは、速くてカッコよくて、

ずっと後にやってくるスーパーカーブームよりいち早く、

私たち子どもは、あこがれの欧州車に目を輝かせていた。


国産メーカーは、自分達の目指す車造りは、

かなり前を行く欧州車と肩を並べるような車を造ることだということが、

はっきり解っていた、そんないい時代だった。


こんな国内レースの黎明期から、TVのブラウン管や雑誌を通してだが、

自動車レースに胸躍らせていたので、

最高峰の夢のF1舞台から撤退する人たちの気持ちは、解るような気がする


彼らの撤退は、一時的なものなのかもしれないが、

これからは、1リッターのガソリンでどれだけ長い距離を走れる車か、

といったような車造り競争をしてほしいと思う。

このカテゴリーでは、日本車は追われる立場である。


少し前のNHKスペシャルで、電気自動車の現況を伝える番組があった。

電気自動車は、ガソリンエンジンで走る車と違って、

過去のノウハウや開発能力を問われないのである。

たとえていえば、日立や東芝が自社のモーターでいつでも参戦できる市場なのである。

心臓部が電気だと、車の部品はガソリン車の3分の1程度で済むようなのである。

なので、従来の自動車メーカーでなくても巨大電機産業でも参戦できるし、

小さなファクトリーでも十分参戦可能な市場なのである。

ガソリンを燃焼するエンジンを使うということは、

車体や部品が「燃えない金属」でないと、車造りは実現しなかったのだが、

電気自動車の車体や部品は、強度は必要だがプラスチックのような、

加工のしやすい部材で事足りるのである。


現に、中国の田舎町では、大きなバッテリーを2台乗せた、

一人乗りのミニ電気自動車を試作しているのである、ちゃんと走るのである。

また、欧米では、多くの個人経営のファクトリーが、電気自動車を試作しだしていて、

その車たちは、お洒落でチャーミングなものばかりである。


いまは、プリウスインサイトが、圧倒的に他を制して前を走っているが、

F1で天下を取るためにヒト・モノ・カネを注いでいる時代ではないようなのである。

モーター・ファンには寂しいかもしれないが、

ハイブリッドの次を担う、電気自動車で先陣を切らねばならないすごいレースが、

正念場を迎えているのである。


30年後、街はピカリとした車体のカラフルな電気自動車ばかりで、

排気ガスはなく、静かな道路事情なんだろうな。

20年後かもしれないけど、それなら私にも見届けられる。