遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

追悼 いしだあゆみ 彼女と伊丹空港で…

歌手で俳優のいしだあゆみさんが亡くなられました。

昨日、偶然にYouTubeのおすすめに上がっていた「1969年のベストヒット50」を妻と見ていたら、49位に彼女の「今日からあなたと」という曲がランクインされていました。

1968年に「ブルー・ライト・ヨコハマ」をヒットさせていましたので、その後のヒット曲でしたが、その動画を見ながら妻といしだあゆみのことを少し話していました。

それから数時間で、妻が驚きながら彼女の訃報に接したと私に教えてくれました。

https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20250317/1000115320.html

私、いしだあゆみと会ったことがあります。

伊丹空港に父を迎えに行った1977年頃でしたが、搭乗客のが出口の付近で父を待つ私のすぐ横を彼女が通り過ぎて行きました。搭乗客が出てくるゲート付近には多くの人がいましたが、その人たちのほぼすべてが私を見ていることに気が付きました。「えっ、なんで?」と驚いたのですが、私の目の前まで近づいてくるいしだあゆみを皆が見ていることにすぐ気が付きました。

多くの人がいしだあゆみの後ろ姿を追っていて、彼女の進行方向(ピンポイント)に立っていた私を皆が見ていたと錯覚したのでした。

彼女は一人で歩いていました。表情がはっきりわかる薄い色のサングラスに黒いワンピース姿で、ロングヘアでスタイリッシュでとてもクールで、独りで立つ私のすぐ横を通り過ぎていきました。

デビュー当時のボーイッシュなイメージは払しょくされていた当時のいしだあゆみ。それはそれはカッコよくてオーラというのはああいうことを言うのだと思います。一歩も動けず硬直した私は、それでも彼女のオーラを全身で享受していました。

すでに大ヒット曲の「ブルー・ライト・ヨコハマ」は手に入れていて、彼女を知らない人は誰もいないという時代で、歌手活動から俳優活動に舵を切った頃のことでした。

 

向田邦子の脚本、森繁久彌の主演ドラマ「七人の孫」(1964年 - 1966年)で、森繁おじいちゃんの内孫でいちばん末っ子役を演じていたのが当時15歳のいしだあゆみでした。

「ただいま11人」(1964年 - 1967年)とともに、日本のホームドラマでいちばん最初に好きになって毎週とても楽しみにしていた「七人の孫」でしたから、小学生の私はボーイッシュでおきゃんな感じのいしだあゆみ姉ちゃんのファンになっていました。

彼女の池田市の実家のレストランに従兄に連れて行ってもらいカレーライスを食べたのもその頃のことでしたし、高校時代は彼女の実家の前を徒歩で通り過ぎて池田駅から高校に通っていました。

小さい頃からのファンで、実家が同じ北摂地域で、実際に出会ったこともある芸能人でしたから、いしだあゆみは少し特別な存在でした。お疲れさまでした。

謹んでご冥福をお祈りいたします 合掌

 

www.youtube.com

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七人の孫」(1964-1966)