遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

悠木千帆・樹木希林

イメージ 1

樹木希林さんとの出会いは、テレビドラマ「七人の孫」(1964年)で、彼女がまだ悠木千帆と名乗っていた頃だった。

ゴールデンタイムに放送された、東京の豊かな家族を舞台にした日本製のファミリードラマの先駆けとなるようなドラマであった。深刻なエピソードのない穏やかな家族の中に、当時のテレビドラマに登場する典型的な女優とは明らかに違った、子どもの私にも感じられた媚びのない純朴な雰囲気のお手伝いさん役の女優が悠木千帆だった。

七人の孫」がはじまった当時の私の年齢は11歳だったので、私より10歳年長の彼女はまだ21歳だったのだ。しかし、すでに彼女は岸田森と最初の結婚をしていた。それはともかく、「七人の孫」「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」でブラウン管を通して彼女に付き合っただけだったが、主役でもないし清純派でもなかった悠木千帆が、初めて出会ってそれ以降、絶対に忘れない存在感のある女優だったことが、彼女の価値そのものだった。

彼女が亡くなった後、ニュースやワイドショーなどで垣間見た樹木希林の生のことばは、どれも魅力的で洒脱なものだった。彼女のコスチュームや暮らしぶりもファッショナブルであった。私のように非のある人間は彼女と付き合うのは恐れ多いが、遠くにいてその言動を感じるだけで十分ありがたみのある存在であった。

今年の5月には、「万引き家族」の表彰式のためにカンヌを訪れていたので、まだまだお元気だと思っていたのに突然の訃報に驚いている。謹んでご冥福をお祈りする。
 合掌