遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

あの素晴らしい愛をもう一度/加藤和彦

イメージ 1


  作詞 北山修  作曲 加藤和彦
  
  命かけてと 誓った日から
  素敵な思い出 残して来たのに
  あの時 同じ花を見て
  美しいと言った二人の
  心と心が 今はもう通わない
  あの素晴しい 愛をもう一度
  あの素晴しい 愛をもう一度

  赤とんぼの歌を 歌った空は
  何にも変わって いないけれど
  あの時 ずっと夕焼けを
  追いかけて行った二人の
  心と心が 今はもう通わない
  あの素晴しい 愛をもう一度
  あの素晴しい 愛をもう一度

  広い荒野に ポツンと居るよで
  涙が知らずに 溢れてくるのさ
  あの時 風が流れても
  変わらないと言った二人の
  心と心が 今はもう通わない
  あの素晴しい 愛をもう一度
  あの素晴しい 愛をもう一度




この加藤和彦北山修のオリジナルでなければいけない。

バックのストリングスも、こうでなくてははらない。


1965年8月、「メンズ・クラブ」9月号に「フォーク・コーラスを作ろう」、

と読者欄に投稿した京都の大学1年生がいた。

加藤和彦である。


ファッション雑誌に、フォークをやろうと投稿するセンスがすごい。

その記事を読んで、加藤の住む京都市伏見区深草まで、

下京区七条西洞院の自宅から、妹の自転車を駆って真っ先にはせ参じた医学生がいた、

北山修である。


ここから歴史ははじまった。


加藤和彦は、常に時代の一番前を走っていた。

それは、まもなく彼の追悼番組や特集で証明されることである。

でも先頭を走っているくせに、傲慢なところがなく、

いつも微笑みをたたえた表情は、お行儀のいい大人の見本のような人物だった。

私は子どもの頃から、そういう加藤を見て育った。


加藤和彦を語るに、「走っていた」とか「人物だった」と、

今日から過去形になることが、とても信じられない。



いまは、悲しくて悲しくて涙が止まらない。

ご冥福をお祈りするばかりである。