遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

私は自然になりたい/犬塚勉

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クレヨンしんちゃんの作者、臼井儀人が遭難死したニュースは列島を駆け巡った。

私は不謹慎にも、彼が行方不明だというニュースで、

覚せい剤系の失踪なんだろうかと思ったりしていたら、

ご本人はそんな人間とは対極にいる、自然を愛する人だと知り、

そういう発想しかできない自分を恥じる。


しんちゃんは有名でも、作者のことはまったく知らなかったから仕方がない。

しかし、すごい遺産なんだろうなと、これまた余計な詮索をする。


犬塚勉という画家がいた。

今月の「新日曜美術館」で、はじめて彼の存在を知った。


彼も、山で遭難して命を絶たれた画家である。


「水が描けなくなった、水を見てくる」と言い残して、

谷川岳で遭難し二度と帰らない人となった。


画像は彼の作品で、上から

「梅雨の晴れ間」 72.7×116.7㎝ 1986年

「縦走路」 112.1×162.1㎝ 1985年

「暗く深き渓谷の入口 Ⅰ」(絶筆) 89.4×130.3㎝ 1988年


自然と一体化すれば、このようなスーパーリアリズムがキャンパスに再現できるのである。


犬塚は中学校などで美術教師をしながら、学校の美術室で絵を描いた。

そして、自然と一体となるために山歩きや登山を繰り返し、

大自然にヒントをもらい、縦横1メートルを越す大キャンパスに、

持って帰ったスケッチをもとに、アクリル絵具で写実的に再現するのである。

その作品は、画家に憑いたもののけをして表現せしめるような、超絶技巧である。


ある時、山登りをしていて突如目の前に現れた草原に魅入られ、

帰宅して一気呵成に描き上げたのが「ひぐらしの鳴く」という、

「梅雨の晴れ間」のような緑一色の作品である。

輝く草原を見て、自分はこういう絵を描く為に生まれてきたんだと、

その時犬塚は、神の啓示を受けたように生まれ変わったのであった。


私はそのTV番組でしか彼の絵を見たことはない。

アップのTV映像になると、なるほど命を削るような精緻な筆使いのなかに、

取り返しのつかないような混沌とした息づかいが、一抹の不安を感じさせるのだが、

その全体象といえば、息を呑むほどに存在感のある鮮烈な描写なのである。


私は必ずしもリアルな絵画を、手放しで認めるほど好きではないのだが、

犬塚の作品は別次元である。


貧しいまま、38歳の才能ある作家は、ちょうど今ごろの季節、

1988年9月23日に、帰らぬ人となった。