遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

Y市の橋/松本竣介

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Y市の橋
昭和18年 油彩・キャンバス 61.0cm×73.0cm


戦時中軍部から戦争画を描けと命じられた松本竣介(1912-1948)は、
「画家は腹の底まで染みこんだ肉体化した絵しか描けぬ」と、それに従わなかった。

中学時代に聴覚を失った松本は、徴兵を免れ、戦時中にもかかわらず東京や横浜をスケッチして歩いた。
昭和18年に描かれた「Y市の橋」は、昭和を代表する名作だという。

私は、毎週録画予約しているNHKの「日曜美術館」で、松本と彼の数々の名作を知る。
「Y市の橋」とは、横浜市の運河に架かる橋で、今も残る橋とその周辺を、松本は何度も訪れ作品にしている。

風景に溶け込んでいたはずの橋や建物を、その存在感を消さないまま単純化させる感性と筆力に感動する。
大きく広がる不安な色合いの横浜の空に、松本竣介は何を見たのだろうか。

耳が聴こえなくて徴兵検査に通らない男の怒りや悲しみは如何ばかりだったか。それは、想像の域を出ないが、
「抵抗画家」と呼ばれることに、そんな次元は超えているよと、松本は違和感を持ったかもしれない。

あと何作か、彼の作品を紹介したいと思っている。