遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

ウズラのロースト

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偶然見つけたレストラン、ディナーの時刻だったが予約も無いのに入れてくれた。

店構えからして恐ろしい雰囲気は微塵も無く、

おもてには、黒板にチョークでメニューとコースの値段が書かれていて、

それでもなお心細いのが、初めてのお店。


そんなこと言ってたら、新しい店の開拓はできないのだけれど、

誰かに連れて行ってもらう年齢は、とうの昔に通り過ぎているので、

おそるおそる、しかしそうと感づかれないような態度で入店する。


私は、定年退職で仕事を辞めたら、

死ぬまで、料理を作って、庭いじりをして暮らそうと思っている。

仕事を持っているときはそんなことを思っていても、

いざ老後になったら何もしないかもしれないかもしれない。

それでも、晴耕雨読といった老人性引きこもり生活の中でも、

料理とガーデニングは何とかできるのでないかと思っている。


で、先ほどの一見のレストランに話を戻すと、

なかなかコスト・パフォーマンスの高い店で感心した。

カウンター中心のお店で、そのカウンターには男は私一人で、

半個室のようなテーブル席からは、男女の声がもれ聞こえてきていて、

男性の声にほっとする。


こういういい店や、面白いお芝居の観客席や、麗しい美術展では、

男は常に少数派である。

この事実は、これまで私のブログで書いてきたとおりである。


右にいる女3人連れは、アラカルトと飲み物を、

店員と自分のお腹と相談しながら注文をしていて、実に楽しそう。

自分のお財布と相談しなくてもいいところが、これまた余裕で楽しそう。


コース料理と飲みものは水を頼んだ私には、メインだけチョイスする自由がある。

何とか豚やイベリコ豚やヒレステーキや確か5種類くらいの中から、

私が選んだのが「ウズラの丸焼き」である。

画像のウズラは、あとでネットで見つけた同店で撮影した他人の画像である。

大きさは、拳より少し大きめで、そこに足が二本ついているといった感じ。


おそらくウズラの親は、初めて食べたと思うのだが、

お腹にはキノコや野菜の詰め物がされていて、ぱさつきはほとんど無く、

外側はカリッとローストされていて、大満足の一品であった。

由緒正しきクリストフルのナイフとフォークで難なく解体し、

あとはご自慢の私の指で、ウズラ君の脚を直接つまんでいただいた。

前菜も魚もフルーツもデザートも良い食材を、

王道を極めつつあるようなシェフが一人で調理している。

高級ホテルでいただくと、私が支払った倍額に軽く到達すると思われる。


週1は2200円(税サービス込み)のランチを予約して、飽きるまで通い続ける、

あるいは、月2ペースで3300円のランチだと、死ぬまで飽きないような気がする。


ただ、こういうレストランと出会うと、

料理を作って暮らしていこうという気が、少し萎える。

こういうセンスの料理には、今から学んだとしても到達しないと思う、

だから、私は老後の料理作りで、フレンチの領域には足を踏み入れないことにした。