遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

割の合わない職業/ゴルフキャディ

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足を手術し目下リハビリ中のタイガー・ウッズ

じっとしていられないのか、体力と勘を取り戻しているのか、

キャディとして9ホールをラウンドしたとか。

文句なしに、世界最強のキャディである!!

このエンジ・シャツのおじさんは、世界一贅沢で幸せなゴルファーである。



日本オープンゴルフ優勝の片山晋呉

彼は難しいセッティングをされたコースを前に、

ドライバーをキャディバッグに入れないで勝負した。


一方、2位になった石川遼は、

同じパーティのB・ジョーンズをも感化してしまう、

堂々としたドライバーショットを披露してくれた。

それでこそヤングライオン!!立派であった。


ところで、今回石川のキャディを勤めていたのは、

古賀ゴルフ・クラブの専属キャディ(ハウス・キャディ)。

コースを熟知したハウス・キャディを選択したこと、

それが好成績につながったのかもしれない。



そういえば、同じ日、大逆転で富士通レディスを制し、

通産46勝目をあげた不動裕理は、専属キャディを持たない。

この日は優勝を決めた後、ハウスキャディの女性が不動を抱きしめていたのが、

感動的であった。


不動は、キャディにほとんど頼ることなく、

いつも淡々とプレーをする。

気心の知れた専属キャディに精神的なサポートを受けず、

自分の経験から得た技術や感覚を信じて46勝。

お見事である。


大山志保古閑美保もハウス・キャディで参戦する。

不動も大山も古閑も、それが師匠清元登子の教えなのかもしれない。


富士通レディスでは、横峰さくらが姉、

飯島茜が妹をキャディにしていたが、

今年の成績がいまいちのこの二人は、

気分を変えて参戦、といったスタンスだったのかもしれない。



1960年代、和製ビッグ3と呼ばれる3人のプロが居た。

あるとき、その中の一人がハウス・キャディに、

厳しく何度も叱責しているのをTV中継で見たことがある。

泣きそうになって困惑しているキャディさんを見て、

それ以来そのプロゴルファが大嫌いになった。

専属か親族キャディを頼めよ、と思ったものだ。



小田和正が正式なトーナメントで、青木功のキャディを勤めるという、

ドキュメンタリーを見たことがある。

青木にとっては、ビッグなミュージシャン小田和正ではなく、

ひとりのキャディとしての接し方をしていたので、

小田には辛いラウンドであったことだったろう。



専属キャディは、主契約料のほかに、

優勝賞金の10%程度のボーナスが支払われるのが相場だという。

優勝者のハウス・キャディも、少しのご祝儀はあるのだろう。

それにしても、キャディは割の合わない商売だとも思う。

優勝者は一人で、あとのすべては敗者なのだから。

勝ってもキャディのおかげだとは、まず言ってもらえないのだから。



不動と抱き合って喜んだハウスキャディさんは、

「おめでとう」という意志表示のほかに、

「あ~無事、優勝できてよかった~」という気持ちだったようにも思うのである。