我が家は私が物心付いた頃から毎日新聞を購読していたので、
折々のうたは、リアルタイムで楽しんだわけではなかった。
1980年には連載の1年分をまとめたものが、
岩波新書で出版された。
20歳代半ばの私は、この1冊を夢中でしっかり読んだことを思い出す。
俳句、短歌、歌謡、詩、漢詩が、
大岡信の短いが、
しかし、明晰な解説で楽しめたのである。
そもそも、詩的な素養のない人間であるから、
大岡の解説がなければ、解らない作品ばかりであった。
たとえば、和泉式部のうた
しら露も夢もこのよもまぼろしも たとへていへば久しかりけり
白露・夢・この世・幻、みなはかない瞬時のたとえである。
だがそれらさえ、この短い逢瀬に比べれば久しいものと思える。
(中略)こういう歌をもらった相手の男も参ったろう。
げにも和泉は恋の歌びとであった。
しら露も夢もこのよもまぼろしも たとへていへば久しかりけり
白露・夢・この世・幻、みなはかない瞬時のたとえである。
だがそれらさえ、この短い逢瀬に比べれば久しいものと思える。
(中略)こういう歌をもらった相手の男も参ったろう。
げにも和泉は恋の歌びとであった。
続いて、柿本人麻呂
春さればしだり柳のとををにも妹は心に乗りにけるかも
「とをを」はタワワの母音が変化した形で、たわみしなうさま。
「妹」は愛する人、妻。
春になるとしだれ柳がたわたわとしなう、それと同様、
私の心がしなうほどに、いとしい妻よ、わが心の上におまえは乗ってしまって。
この、「妹は心に乗りにけるかも」という表現は、
万葉集で別のよみ人知らずのうたでも使われている。
「恋人が心に乗ってしまった」という表現が、
古代人にいかに好まれたかを示す一例だとして、
大岡は紹介している。
それから明治以降の現代詩まで、最初の1年に広範囲に紹介されている。
草野の詩は、中原中也への哀悼のもの。
毎日毎日、6762回も、
大岡は、言葉の贈り物を届けてくれていた。