遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

折々のうた/大岡信

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 折々のうた    大岡 信    (岩波新書)




朝日新聞の朝刊1面の連載、「折々のうた」が3月31日で最終回を迎えた。

連載が始まったのが、1979年のことである。


我が家は私が物心付いた頃から毎日新聞を購読していたので、

折々のうたは、リアルタイムで楽しんだわけではなかった。


1980年には連載の1年分をまとめたものが、

岩波新書で出版された。


20歳代半ばの私は、この1冊を夢中でしっかり読んだことを思い出す。

俳句、短歌、歌謡、詩、漢詩が、

大岡信の短いが、

しかし、明晰な解説で楽しめたのである。

そもそも、詩的な素養のない人間であるから、

大岡の解説がなければ、解らない作品ばかりであった。


たとえば、和泉式部のうた
 

 しら露も夢もこのよもまぼろしも たとへていへば久しかりけり


     白露・夢・この世・幻、みなはかない瞬時のたとえである。

     だがそれらさえ、この短い逢瀬に比べれば久しいものと思える。

     (中略)こういう歌をもらった相手の男も参ったろう。

     げにも和泉は恋の歌びとであった。



続いて、柿本人麻呂


 春さればしだり柳のとををにも妹は心に乗りにけるかも


     「とをを」はタワワの母音が変化した形で、たわみしなうさま。

     「妹」は愛する人、妻。

     春になるとしだれ柳がたわたわとしなう、それと同様、

     私の心がしなうほどに、いとしい妻よ、わが心の上におまえは乗ってしまって。


この、「妹は心に乗りにけるかも」という表現は、

万葉集で別のよみ人知らずのうたでも使われている。

「恋人が心に乗ってしまった」という表現が、

古代人にいかに好まれたかを示す一例だとして、

大岡は紹介している。



万葉集古今集から、芭蕉や蕪村をはじめとする近代の俳句、

それから明治以降の現代詩まで、最初の1年に広範囲に紹介されている。



 人に勝らん心のみいそがはしき

 熱を病む風景ばかりかなしきはなし

           中原中也



 中原よ

 地球は冬で寒くて暗い。

 ぢゃ。

 さやうなら。

           草野心平


草野の詩は、中原中也への哀悼のもの。



毎日毎日、6762回も、

大岡は、言葉の贈り物を届けてくれていた。