遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

永訣の朝/宮沢賢治

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中学1年と2年のときの国語の先生がN先生で、私の担任でもあったのでよく覚えているのだが、その先生に宮沢賢治の「永訣の朝」という詩を習った。

N先生はこの詩を情感豊かに詠んでくれたこともよく覚えていて、賢治の妹が死の床で「あめゆじゅとてちてけんじゃ」と霙(みぞれ)をせがみ、椀を持って賢治がそれを取りに行くという哀しい内容に心が打ち震えたこともよく覚えていた。

しかし、「Ora Orade Shitori egumo」というフレーズは忘れていた。賢治の妹は、「おらおらでひとりいぐも」と、悲しく一人で死にゆくことを独白したのだが、先日63歳で芥川賞を受賞した若竹千佐子の「おらおらでひとりいぐも」は、老後を1人生き抜く決意がみなぎる。

“ひとりいぐも”の意味合いは宮沢賢治の「永訣の朝」の妹のことばとは別物だが、同郷の巨人の詩のフレーズをモチーフとした若竹千佐子の決意を読んでみたいと思っている。

また、同日受賞した門井慶喜の「銀河鉄道の父」は、宮沢賢治の父・政次郎の視点から、賢治の生涯を描いた作品だという。

奇しくも、宮沢賢治関連作品が受賞したようだ。私は宮沢賢治の熱狂的なファンではないが、たとえば「風の又三郎の」あの又三郎が歌う歌はいまだに口ずさめるほど、幼少時から身の回りにはいつも宮沢賢治がいたのである。

画像は、賢治の花巻の自宅の伝言板に残された最後のメッセージ「下ノ畑ニ居リマス」である。


永訣の朝   宮沢賢治
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨いんさんな雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜じゅんさいのもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀たうわんに
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛さうえんいろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系にさうけいをたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ