一躍人気者になり、「高橋-信長を殺さないで」という視聴者の声に、
本能寺の変の放送は延期になったという。
まだ小学生だった私は、この「太閤記」を欠かさず見た思い出がある。
このたびネットで検索してみたら、脇を固める出演人がすごい人たちだった。
ことに、高橋-信長の影に隠れてしまったのか、
今回の舘-信長の延命コールはなかったようで、予定通り明日の放送で、
前半のクライマックス「本能寺」とあいなる。
京都の、標高924mもある山である。
関西の家庭の台所には「火廼要慎 阿多古神社(火の用心 愛宕神社)」
というお札が貼ってあることが珍しくない。
我が家の台所にも、それはあり、数年前に私が片道2時間をかけて登って貰ってきたお札である。
光秀は2時間の道のりの参道を登りながら、もうすでに心に決めていたであろう数日後のクーデターを、
どのようにイメージしていたのだろうかと思う。
彼の50年余りの生涯は、流浪の生涯であった。
本気で天下を獲ろうとしていたのか、単に信長を討ちたかっただけなのか、
それとも、数奇な生涯に終止符を打とうとしていたのか。
光秀の本姓は「土岐(とき)」である。
「ときは今 あめ(天)が下しる 五月かな」
光秀は、天下を取る決意を愛宕山で詠んでいる。
天正10(1582)年のことであった。