遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

ワンサカ娘/小林亜星

イメージ 1

ワンサカ娘/小林亜星



「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」でおなじみの稀代の名演出家、

 

久世光彦(1935・昭和10年生まれ)が今月2日に亡くなられた。



「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」といえば、

 

私の大好きな向田邦子(1929年・昭和4年生まれ)の脚本であったが、

 

向田も、1981年に航空機事故ですでに亡くなられている。



で、「寺内貫太郎」といえば小林亜星(1932年・昭和7年生まれ)であるが、

 

この方は、今も相変わらずお元気である。



♪ドライブウエイに春が来りゃ 
イエイエイエ イエーイエ イエイエイエ イエ 
おしゃれでシックなレナウン娘が 
ワンサカ ワンサ ワンサカ ワンサ イエイ イエイ イエイエ



この1961年のレナウンのCMソング「ワンサカ娘」を作詞作曲したのが、

 

当時まだ29歳の、無名作曲家、小林亜星であった。



私は、この曲を聴くと、シルヴィ・バルタンを思い出すが、

 

 

初期の頃の歌い手は変遷した。



当時、我が国では、

 

春はドライブウエイに来た。

 

「山や里」に来たのは、その前のことであった。

 

因みに、夏はプールサイドに、秋はテニスコートに、冬はロープウエイに、

 

やってきた。



当時は、いいコマーシャルソングが、提供会社を育て、商品を育てた。

 

そして、表現者や創造者として世に出ようとする若者たちを育てた。




貫太郎を演じる前の、まだ丸刈り頭でない頃の亜星を、

 

私は何かで何度か見たことがあった。



「ワンサカ娘」やブリジストンの「どこまでも行こう」や

 

サントリー・オールド」のCMソングの作り手としての、

 

私の勝手なまだ見ぬ亜星のイメージと実物は、かなり違った。



そんなイメージのギャップは、

 

小林亜星が、男なのか女なのかも判らなかったのだから無理もない。

 

水森亜土に名前の字面が似ていなくもないし・・・。



小林の作る歌のオシャレなセンスの良さは、右に出るものはないであろう。

 

誰もが歌える旋律なのに、誰も真似できない旋律の素晴らしさが、イイ。



見かけと同じく、「悠」とした大きな歌ばかりである。




その作品群は以下のとおりである。

 

■CM
「ワンサカ娘」レナウン
「イエイエ」
「オールド」サントリーチェルシー明治製菓
「どこまでも行こう」ブリヂストン日立の樹」日立 (http://www.hitachinoki.net/tv_cm/index.html)
「酒は大関こころいき」大関酒造
「ぱっとさいでりあ」
■アニメ
狼少年ケン
ガッチャマン
ひみつのアッコちゃん
魔法使いサリー
超電磁ロボコン・バトラーV
■他
昭和47年、ピンポンパン体操レコード大賞童謡賞
昭和51年、都はるみ「北の宿から」でレコード大賞