弘田三枝子さんが亡くなられたというニュースを目にした。ご冥福をお祈りいたします。
私の小学校低学年のころ世に出てきた弘田三枝子は、当時中学生だった。
小学2年生のころ覚えた「子供ぢゃないの」(1961年)の一番の歌詞はいまも覚えていて歌うことができる。校則を破って赤いハイヒールをはいてお出かけするハイティーンというのがはっきりイメージできなかった子どもだったが、この歌をはじめとして弘田三枝子の日本語で歌うアメリカンポップスの歌詞で大人の世界に近づいて行った。
「砂に消えた涙」「ヴァケーション」「夢見るシャンソン人形」(フランス製ポップ)などのヒット曲や、小林亜星が作曲したカッコいい「ワンサカ娘」などのCMソングは、私の最も遠い記憶の中にある「音楽への憧憬」への原初だった。
「シャボン玉ミコちゃん」という弘田三枝子のために作られ放送されていたバラエティドラマは、(たった7カ月で終了していたのには驚いた)毎週楽しみに見ていた番組だった。内容は全く覚えていないが、私にとって「シャボン玉」といえば「ホリデー」ではなく「ミコちゃん」であった。(上記画像)
1969年に「人形の家」でカムバックしたが、61年にデビューしていた弘田がナベプロに所属していたなら、デビューした時のままの姿かたちで少なくともザ・ピーナツのように80年代まで活躍していただろうと容易に想像できる。
海外の曲に日本語の訳詞をつけて歌った弘田三枝子は、その後成功した和製ポップスの先駆的な存在で、彼女は日本のポップス界の「ファーストペンギン」だった。 合掌
↓子供ぢゃないの 1961
↓砂に消えた涙
↓ヴァケーション
↓夢見るシャンソン人形
↓ワンサカ娘