遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

映画「特捜部Q 知りすぎたマルコ」を楽しみました

アマゾン・プライムで、映画「特捜部Q 知りすぎたマルコ」鑑賞。

「特捜部Q」シリーズは、ユッシ・エーズラ・オールスンの早川ミステリーでも、「檻の中の女」「キジ殺し」「Pからのメッセージ」「カルテ番号64」「知りすぎたマルコ」まで読んできて、映画の「特捜部Q」も第5作まですべて見たことになります。

まだ、未読の原作「吊された少女」「自撮りする女たち」が続いていて、映画化されるまでに原作を読みたいと思っています。

さて「「特捜部Q 知りすぎたマルコ」は、原作を6年前に読んでいましたが、ストーリーは憶えていなかったので、一粒で二度おいしい思いをしました。
今回から映画の主演・助演のキャストが代わったのですが、違和感なく楽しめました。

欧州一円を仕事場とするロマの犯罪集団の1少年がマルコ。タイトルの通り何かを「知りすぎたマルコ」が今回の中心人物で、政府要人や銀行幹部に、なぜか追われることになります。

無賃乗車で保護されたマルコが所持していたのが、なぜか行方不明になっている外務省の職員のパスポートで、お蔵入りになった事件を捜査することだけを命じられたコペンハーゲン警察特捜部Qは、例によって警部補カールと男女の助手アサドとローセの3人だけで捜査にあたります。

特捜部Qは、いつもデンマークの上級国民の巨悪が絡んだ事件を扱うことになるのですが、巨悪が絡むとなぜかお蔵入りになるところが古今東西同じ現象のようでそ。しかし、失うものがないというか空気を読めない特捜部Qの3人は、忖度なしに事件を片付けにかかります。

私がミステリーを好んで読むのは、作品により様々な個性がありそれに従った構想や物語があるとはいえ、結局は「勧善懲悪」に帰結するからだと思っています。

映画の特捜部Qも当然にそのスタンスは同じで、これは日本のテレビシリーズの「相棒」「水戸黄門」でも同じことでしょう。

主人公の捜査官たちの個人的な幸福は達成しなくても、仕事上は「悪は滅び正義は勝つ」ところに帰結するところがミステリーの王道なのであります。

この特捜部Qシリーズは、日本ではさほど人気がないのかもしれませんが、原作は翻訳され、日本語字幕の映画は次々リリースされるところを見ると、私のようなコアなファンが少なくないのかもしれません。

テレビで一緒に見た妻も、退屈せずに2時間を楽しめたようでした。

映画も原作も寒くて涼しいデンマークが舞台で、例にもれず北欧らしい暗くて実に味わい深い渋みが刺激的ですので、このシリーズ、順を追って体験していただきたいと存じます。