遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

2023年上半期に読んだ本のうち良かったものを読了順にご紹介

2023年上半期に読んだ本のうち、良かったものを読了順に紹介します。

本が売れなくなって本を読まない人が多くなって久しい世の中ですが、それでも面白くて楽しくて素晴らしい本は続々とと出版されています。

私は比較的最近に出版されたものを図書館で借りて読んでいますが、69歳の男の感覚で気に入ったものをいくつか紹介したいと思います。

お口に合うかどうかは分かりませんが、描かれている素材は必ずしも新しい素材ではありませんが、時代感覚にあふれた新鮮な筆致で私たちの目の前に存在している現代の文学作品がおすすめであります。

私の読書メーターに記した感想とともにご紹介します。

犬のかたちをしているもの    高瀬隼子 
本作の冒頭、主人公は彼氏(ほぼ同棲中)にドトールに呼び出される。彼氏の隣には見知らぬ女性が腰かけていて、そのミナシロと名乗る女性から主人公は驚愕の依頼を受ける。男と女の関係、子どもを産み育てること、自分を作ってくれた家族と作ろうとしている家族のことなどについて、読み手は主人公を通して考えたり悩んだり思い出したり悔やんだりすることになる。同じ著者の「おいしいごはんが~」の芦川もそうだったけど、本作のミナシロも現代日本のノー天気さを一手に引き受けているようで、どちらも男じゃないところが興味深い。

悲しみのイレーヌ    ピエール・ルメートル 
ルメートルのデビュー作。本作のネタバレになるという「その女アレックス」を先に読んでいたけど、よく覚えていなかったので影響なく楽しめた。「悲しみのイレーヌ」という邦題のせいでカミーユ警部の妻イレーヌのことが気がかりで、不安な気持ちで連続殺人事件の捜査過程を楽しむことになった(愉しんだのかい)。邦題のつけ方と「その女アレックス」を先に出版したことを帳消しにしてもいいほどの出来で、過去の名作ミステリのオマージュにもなっている。世に出るにはこうでなくっちゃという力作で、まるで著者の集大成のような一作だった。

ボタニカ    朝井まかて
朝井まかて初読みは、植物学者牧野富太郎の伝記小説。牧野には前から興味があったので朝ドラ「らんまん」を楽しみにしていたが、本書との邂逅で先読みしてしまった。94年の生涯のほとんどが夢中で取り組んだ植物採集で、牧野が作る植物標本は無計画に数を増やしていった。彼の人生も同じく無計画で、だからこその楽しい読み物であった。読後、牧野をネット検索したら笑顔の写真がほとんどで、彼の植物スケッチは見事だった。著者はその傍若無人で幸福な人と時代背景を魅力的に描いていて流石。先読みしても、朝ドラは2倍楽しめるとも思う。

N/A    年森暁 
かけがえのない他人同士の関係を望んでいた高校生のまどかに、教育実習生のうみちゃんが大人の恋愛関係に誘ってきて女同士のお試し期間に入った。まどかの一人称による語りは、女子高の友達や先生や三世代にわたる家族が目の前にあるだけなのだが、いまの社会を濃縮している気がする。それは、著者の視界の広さと深い問題意識に依るところが大きいのかな。本作がデビュー作で、女性である(?)こと以外は何も判らない著者だけど、何ものにも捉われない属さない、まさにN/Aみたいな感性が厳しくて鮮やかだ。広く読まれることを願う。

しろがねの葉    千早茜 
最初の数十頁を読んだだけで知り合いに「しろがねの葉」は面白いと断言してしまった。夜目が利く少女ウメと、銀山の間歩(まぶ:坑道)の雇用主の喜兵衛が魅力のある人物で、地味な石見銀山にこの二人を置いたシチュエーションそれだけで本作の虜になった。暗闇の間歩で、雑用係からスタートしたウメの静かな人生劇場に、拍手。ウメの周辺に出没する男女も魅力的で、戦国の終わりに時代が変わる狭間で、活き活きとした忘れがたい男女が生まれて愛して死んでいくのだった。痛快な「ほぼ偶然に出会った一冊」で、とても良い出会いだった。

文豪、社長になる    門井慶喜 
文豪菊池寛の伝記物語。菊池は大正期に文藝春秋社を起こし、昭和初期に芥川・直木賞を創設し、そのどれもが今に続いているのでハッピーなのだが、芥川と直木は夭折し文春は戦後すぐ解散させられている。それらの顛末も含めても、なお楽しく読めた。菊池は天衣無縫にして、愛されキャラ感が満載の人間で、きな臭い大正から昭和の時代にあって時勢や帝国軍との軋轢を感じながらも、世間に迎合した出版物により文春を大きくした。漱石以下、綺羅星のごとき作家たちが実名で出演する、直木賞作家による文春創立100周年記念大作映画のようでもある。

植物少女    朝比奈秋 
どの頁も例外なく胸が熱くなる。美桜を産んだ時に、脳出血植物状態になった母、深雪。少女美桜は成長過程で、ほぼ毎日病室の深雪と2人だけの時間を過ごしたり、同室の植物状態の患者たちと静かな交流を繰り広げる。勤務医だった著者は、病室の患者や医師や看護師をクールに描く。それらの対局にあるのが著者が創り出した主人公の美桜で、植物状態の母親との濃密な時間の描写に圧倒的な生命の尊厳が塗りこめられていたり、美桜の独白による心の移ろいに読み手は心を揺さぶられることになる。今年上期№1作品。

以上