遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

軍隊式精神野球から「ペッパーミル」パフォーマンスは生まれない

WBCの日本代表ラーズ・ヌートバーが広めた「ペッパーミル」パフォーマンスは、「身を粉にする」「コツコツ努力する」などの意味が込められているようで、なかなか面白い意味合いを持つパフォーマンスだと思います。

いま開催中の春の甲子園センバツ高校野球で、ダルビッシュの母校の東北高校の選手が「ペッパーミル」パフォーマンスをやって、審判に止めるよう注意をされたそうです。

初回の相手のエラーで出塁して塁上で自分のチームに向けて行なったパフォーマンスだったのですが、何でもないシチュエーションで相手のミスでの出塁時にやるパフォーマンスではないと私は思います。

ただし、その行為が相手を揶揄するかどうか取り方の問題で、少なくとも審判は一旦プレーが終わった時点でそれとなく選手に言うとか、監督が後で指導するとかが正しい指導ではないかなと思います。それもやさしい笑顔を伴った指導でね。そういったことが教育的なスポーツ指導だと思います。

高野連は、ルールにない目に余るマナー違反の行動については、要注意行動としてはっきり明文化するべきでしょう。

勝ち負けの世界では、マナー違反は心理的影響が大きいので、まだ成熟過程の中高生に向けて、わざとらしいマナー違反については厳しく指導すべきだと思います。

かつて大学野球でしたが、ある投手に向けて高卒ルーキーとしてその投手を獲得できなかったスカウトが自殺したことをネタにしたヤジ、「そんなんじゃあのスカウトが泣いてるぞ」みたいな類のヤジが相手側ベンチから聞こえてきたことがあります。

勝つためなら何でもするその精神野球に愕然とした覚えがあるのですが、ああいうヤジこそチーム全体を活動停止にするほどの大問題だと思います。

今回の「ペッパーミル」パフォーマンスをとがめるのであれば、高野連は軍隊式体罰精神の野球チームがなくなることも考えるべきだと思います。

当の東北高校の指導者佐藤監督は現役時代に巨人でプレーし、引退後はアマチュア野球の指導に携わったお方だそうです。昨年8月に母校・東北高校の監督に就任すると丸刈りを廃止し、練習中に音楽を流したり、ユニフォームを着なくてもいいと独創的な方針を示して話題になり、選手個々が考える野球を提唱し、就任1年目の秋に宮城県大会で優勝し、12年ぶりの選抜出場を決めたのでした。

要するに、佐藤監督は軍隊式精神野球から脱却することによって、チームを強くできたのだろうと思われます。

選手を引退したイチローが、ランダムにボランティア臨時コーチとして高校に出向いて指導していますが、東北の佐藤監督と考え方と大きくは違わない指導によるチームサポートだと思います。決して、炎天下での長時間やイジメやしごきが練習メニューに入っていないと思います。

もし野茂やイチロー大谷翔平が大人の指導者に潰されていたとしたらと考えると、あるいは、プロ入りして仰木監督や栗山監督に出会っていなかったとしたらと考えると、のちのMLBでの彼らは存在しなかったかもしれませんから、彼らは良き指導をはじめいろんな面で恵まれて大きくなったと言えるでしょう。

ヌートバーにしても、あんなに天真爛漫で愛されキャラなのは、家族の理解と自由なアメリカスポーツ環境の賜物だとも思うわけです。高校生時代のヌートバーは、野球のみならずアメフトの素晴らしいQBだったそうですが、日本の軍隊式野球チームではそんな「二刀流」は許されないはずです。

ということで、相手にやさしく自分に厳しい選手育成というのは、スポーツ以外の他の教育にでも通じることだと思う、愛国者の私のきょうこの頃であります。

と言って、キュキュとミルで胡椒を挽く。