遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

必ずまた自然災害による大きな原発事故が想像できるのに...懲りない日本

きょう「3.11」と検索すると、YahooとLINEがそれぞれ10円ずつ寄付してくれますので、私もさっそく協力しました。

上の写真は、2011年3月12日に大阪市を出発し16時間かけて宮城に到着した大阪市営バスの画像です。下の方のTwitterに、当時の大阪市長だった平松市長の回顧録からの抜粋文とともに貼られていた写真です。

この写真は今まで何度も目にしていて、そのたびに私も胸が熱くなります。1995年に阪神淡路大震災を経験した際に、国内外からの励ましを受けた関西人ですから、そういうことも合わせて胸が熱くなるのです。
https://twitter.com/kakopontan/status/127718590481828249

平松市長は、震災発生直後に「即座に京都、神戸、堺の政令市のトップに電話をかけ、災害対策本部を立ち上げて、やれることをそれぞれやる方向で動きましょうと連絡した。」と回想されています。

そして、翌12日には大阪市営バス2台に、毛布・水・食料などの緊急物資を満載して東北に向かったのでした。

あれから12年経ちましたが、あの時の経験は生かされているでしょうか。

東日本大震災は、地震津波に加えて福島原発による被害が特徴的で、とりわけ自然災害による原発被害はスリーマイルやチェルノブイリの構造的で人的な原発事故とは一線を画す大事故でした。

12年を経ていまだに福島原発事故の影響は続いており、政府は発電所から排出されている放射性物質を含む100万トン以上の処理済みの汚染水を、福島県沖の太平洋に放出する計画を承認しました。こんな事態も、地球上に生物が棲み始めて以来初めてのことです。

しかもまだ日本は原発を使い続ける方針なのですから、まったくもって経験値の積み重ねのない国であります。

再生可能エネルギーによる発電に早く大きく舵を切らないと、原発事故や化石燃料の確保などにより、10年後にはまた大きな悔悟に直面しそうな予感がします。

そして、必ずまた大きな自然災害が来ることと、それによる大きな原発事故が起きることが容易に想像できることなのです。

わかっているのに何もできないというのは、日本の懲りない特徴なのでしょうか、胸が痛むばかりの3.11であります。 黙祷