1995年の阪神大震災の時の首相は村山富市(自民社会さきがけ連合政権)だったし、2011年の東日本大震災時の首相は菅直人(民主党政権)だった。
いずれも自民党総裁が内閣総理大臣を離れていたわずかな期間に起こった有史以来の大災害が阪神と東日本の二つの大震災だった。
◆阪神大震災(1995年1月17日)前後の政権
・細川護熙(日本新党・日本社会党・新生党・公明党・民社党・新党さきがけ・社会民主連合・民主改革連合の連立政権)1993年8月9日- 1994年4月28日
・羽田孜(新生党・公明党・日本新党、民社党・自由党・改革の会・民主改革連合の連立政権)1994年4月28日- 1994年6月30日
・村山富市(日本社会党・自由民主党・新党さきがけの連立政権)1994年6月30日- 1996年1月11日)
◆東日本大震災(2011年3月11日)前後の政権
・鳩山由紀夫(民主党・社会民主党・国民新党の連立政権)2009年9月16日- 2010年6月8日
・菅直人(民主党・国民新党の連立政権)2010年6月8日- 2011年9月2日
・野田佳彦(民主党・国民新党の連立政権)2011年9月2日- 2012年12月26日
この大災害時に今の菅義偉首相の内閣だったら、どうなっていただろう。
「総理、事故が起きた福島の原発に海水を注入し冷却しなければ大変なことになります」
こう言われた菅義偉は
「仮定のことには…」と何も手を打たなかったのだろうか。
東日本大震災では、菅直人首相が「海水注入の妨害」をしたというデマまで流され、野党の自民党に徹底的に邪魔をされた。
《震災翌日の早朝、菅首相がヘリで原発の視察に向かったことには「最高責任者が官邸を離れた」と非難が殺到。自衛隊を10万人投入したことに「国防を知らない首相のパフォーマンス」との声もあった。東京電力に乗り込み政府との統合対策本部を設置したことは「官邸の過剰な介入」と批判を受け、避難所を訪問すれば、避難者から「もう帰るんですか」と怒声を浴びる場面が繰り返し流され、非難と嘲笑の的となった。》
しかし、もしあの時安倍晋三や菅義偉が陣頭指揮にあたっていたとしたら、いまの東京は果たして無事だったろうかという気がしてならない。
福島第一原発は今も暴走を続けていたかもしれないと思うと、あの時菅直人首相と枝野幸男官房長官でよかったと心の底から思える今日3.12なのだった。
菅義偉内閣にとっては、コロナ禍の今後のことも「仮定のこと」なのだ。