遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

全米図書賞の柳美里作「JR上野駅公園口」を読みました

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柳美里の小説を初めて読む。

2020年の全米図書賞の翻訳部門で、柳美里の「JR上野駅公園口」( "Tokyo Ueno Station"モーガン・ジャイルズ翻訳)が受賞したことがきっかけで、この受賞作を読むことにした。

昨日7月23日は東京オリンピックの開会式だったが、昨日本作の最後の方を読んでいて1964年の東京オリンピックの開会式のシーンが出てきた。57年の時空を超えてピンポイントで奇しくも同じ東京での開会式のシーンが重なったことにギクッとした。

東京五輪の競技会場の工事現場で働いていた主人公の回想シーンで、昭和天皇が「第十八回近代オリンピアードを祝い」開催宣言をするのだった。

福島県からの出稼ぎで東京に出てきてそのまま上野でホームレスになった主人公は、1933年・昭和8年生まれで、現上皇と同じ年に生まれた。そして主人公の長男は、浩宮今上天皇)と同じ年(昭和35年)に生まれたので浩宮にちなんで「浩一」と命名される。天皇家と主人公一家の父子4人はそれぞれ同年なのだった。

その長男浩一の不幸をはじめ、主人公には何一つ幸せな出来事は起こらない小説で、柳美里は重いうつ状態でこの作品を書き上げたという。寝転んだままスマホで河出書房の「文藝」掲載のために書いたそうだ。

上野公園で寝泊まりしているホームレスたちに彼らが「山狩り」と呼ぶお触れが出る。皇室関係者が上野の美術館などお出ましになるので、公園内から立ち去らなければならないのだった。皇室から一字頂いた名前の息子を持つ自分も「山狩り」に遭わなければならないのだった。

英語に訳された本書は、現代のアメリカ人にしたらどこか別の星の物語のように感じたのではないだろうか。

江戸時代に富山や新潟から相馬に移住してきた浄土真宗門徒たちが、かの地でまるで異教徒のように暮らしてきた歴史は、移民の国アメリカでは受け入れやすいエピソードかもしれないが、日本の近代化までの過程のなかで不幸のどん底にあった主人公の人生に親近感を感じるのだろうか。またJR上野駅とその周辺が、近代化の窓口的存在だったこととは別に、アメリカ人には不思議で特別な場所に映ったように想像できる。

全米図書賞の翻訳部門で受賞の瞬間に涙した翻訳者のモーガン・ジャイルズ。彼女の涙の半分は受賞の喜びによるものだったと思うが、残りの半分は相馬に移住した柳美里と彼女が生み出した相馬生まれの主人公に敬意を表したものだったかもしれない。

何一つ楽しいことがない絶望の物語なのになぜか哀しくないのが不思議なのだが、詩的でみずみずしくてしっとりとした文体と、作品の土台と骨組みがしっかりしているからだろう。これが文学の力なのか。私から遠い地の入口と出口である相馬や浪江や上野などの古くからの暮らしにも興味を持ったし、「皇室とホームレス」の対比も巧みに表現されている。

この作品を書き上げたころのうつ状態から抜けきれたようで、柳美里は以前よりずっと溌剌でさわやかに感じる。きっと、相馬に移り住んで書店を始めたせいだと思われる。