遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」はゴールドだった

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ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー  ブレイディ みかこ (著) 新潮社

日本人(イエロー)の母ちゃん=著者ブレイディ みかことアイルランド人(ホワイト)の父ちゃんの間に生まれた息子君が、英国はブライトンの公立中学に進学して少しめげていた(ブルー)。

ノートの端っこに「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」と独り言のように書いていた言葉を、母ちゃんは無断で自著のタイトルにして自分たちの暮らしを日本に紹介した。

息子が入学した中学校は「元・底辺中学校」。「元」だけにいろいろ「多様性」のある学校で、数少ない東洋系はアフリカ系などと同様に白人から差別的な目で見られる。しかし、立派な母ちゃんに育てられた思慮深くて出来のいい息子は、排除されることも排除することもなく生き生きとした中学生活を送ろうとする。「ブルー」から明るい色に変わっていくのだ。

EU離脱が決まったデリケートな時期に、ブライトンという多様な都市に住む一家の周りでも、スリリングな日常が待っている。

母ちゃんと息子の会話から(時々父ちゃんも登場する)、学校や地域とのかかわりあい方のお手本のような暮らしぶりが見えてくる。日本で暮らしていても同じようなものなのに、本書で目覚めた多くの読者がいるような気がする。

元・底辺中学校の中学生(英国は11歳の入学)でさえ、民族、家族、多様性、性差、格差、差別、貧困、教育、ボランティア、LGBT、共感(エンパシー)、ポリコレといったような言葉を衣装のように身にまとって生活しなければならない環境に身を置いている。そのことは、日本で暮らす身としてはいささかショッキングだった。

たとえば、暑くても日傘をさすことを認めない中学校は、校長の考えや校則で「底辺校」になってしまっているのだ。ブライトンなら当該中学の生徒によるデモが起き団交による話し合いがもたれるだろう。

日本語で書かれた大ベストセラーの本書を読む多くのイエローは、男も女も皆しなやかで音楽が好きで賢くて陽気で我慢強い本作の母ちゃんと息子君みたいになってほしいと思う。

重くて深いことが、明るく分かりやすく書かれていて、日本の中学生にも理解できるところが偉大だ。輝かしいゴールド!

今年の私的ベスト3(ノンフィクションの部)にランクイン確定の1冊だった。