アーモンド ソン・ウォンピョン (著), 矢島暁子 (翻訳) 祥伝社
【内容(「BOOK」データベースより)】
《扁桃体(アーモンド)が人より小さく、怒りや恐怖を感じることができない十六歳の高校生、ユンジェ。母は、感情がわからない息子に「喜」「怒」「哀」「楽」「愛」「悪」「欲」を丸暗記されることで、なんとか“普通の子”に見えるようにと訓練してきた。そんなとき現れたのが、もう一人の“怪物”、ゴニだった。激しい感情を持つその少年との出会いは、ユンジェの人生を大きく変えていく―。怪物と呼ばれた少年が愛によって変わるまで。》
「韓流」に接したことがない私。
焼肉、キムチ、チヂミ、韓国海苔などは大好物だけど、朝鮮語も映画もドラマも音楽も全く知らない。
今般、韓国の本・小説に初めて接した。タイトルは主人公の少年の生まれつき障がいのある偏桃体からとった「アーモンド」。
著者ソン・ウォンピョンは1979年生まれの女性で、おもに映画界で仕事をしてきたお方。映画シナリオを書いたり演出をしてきた女性の、本書は初めて書いた小説である。
偏桃体に障害のある主人公が、語り手でもある「僕(ユンジェ)」。
感情に乏しいユンジェが語り手だから、この小説の質感が独特なのか、普遍的な好き嫌いが介在しない人間の根幹に触れる深い言葉がそこにある。
日本の文学では、この島国固有の文化的なものに接することが多いが、本作には韓国的なものはなく、無国籍な空気感がある。本作が、南米や中東や北欧の新しい小説であっても何ら違和感がない。
登場人物はみな愛らしくて個性的。みな真摯でいい人たちばかりでさわやかである。ユンジェと敵対関係にあるゴニでさえ、彼の不条理な生い立ちが初めから知らされているので、愛くるしい。
全編に漂う「質感」は、残酷なシーンを語っても透明感があり上質なたたずまいを見ることができる。すぐれた翻訳だから一層そのように感じるのかもしれない。
著者は映画人なので、物語は映画のカット割りの如くリズム感があって心地よい。
でも以下のような文章で、映像世界に遠慮なく文学の醍醐味を伝えてくれてもいて素晴らしい。
《映画やドラマ、あるいはマンガの世界は、具体的すぎて、もうそれ以上僕が口をはさむ余地がない。映像の中の物語は、ただ撮られている通りに、描かれている通りにだけ存在している。
例えば「六角形の家、茶色いクッションが置いてある。そこに黄色い髪の女性が足を組んで座っている」というのが本の文章だとすると、映画や絵では文章に書かれたことだけでなく、女性の肌、表情、爪の長さまで全部決められている。その世界に、僕が変化させられるものは何もないのだ。
本は違う。本は空間だらけだ。文字と文字の間も空いているし、行と行の間にも隙間がある。僕はその中に入って行って、座ったり、歩いたり、僕の思ったことを書くこともできる。意味がわからなくても関係ない。どのページでも開けばとりあえず本を読む目的の半分は達成している。》
「日本」の老若男女にお勧めしたい本の世界がここにある。
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