遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

東京上野の包容力を感じる物語/中島京子の「夢見る帝国図書館」

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夢見る帝国図書館 中島 京子 文芸春秋

明治5年に国立帝国図書館(前身は書籍館=しょじゃくかん)は、当初閲覧室や書架は湯島聖堂に間借りして設立された。その後上野に本格的な図書館の建設計画が推進されたが、日清日露の戦費に建設予算は取られ、当然に蔵書計画も頓挫していた。

それでも、日本各地の江戸時代の名著や貴重な資料が帝国図書館に徐々に集積されてきた。その蔵書を閲覧し書き写すために明治の文豪たちが帝国図書館に通い詰めた。

なかでも足繁く通う若くて熱心な樋口一葉は、(擬人法的に)もっとも図書館に愛された入館者であった。

本書では、このような帝国図書館が飲み込んだ歴史を「ゴシック体」フォントで短文25章によって「夢見る帝国図書館」として綴られる。これがすこぶる面白い。

建物は立派だが書物が貧弱で、都合の悪い公文書はこっそり償却するというのは日本の輝かしい伝統のようで、いまや「ペンは剣よりも強し」を表象するのは慶應や開成の校章くらいではないだろうか。

それでも、上野には智に飢えた若者たちが身の置き所をもとめて集まってくる。それらを丸ごと抱きかかえた包容力のある上野の地がゴシック体で生き生きとして綴られている。

一方で、明朝体で著わされる本書の大部分を占める喜和子という女性の、数奇な一生が、彼女の尊属にまで及ぶ大河小説として存在する。

本書の語り手である「私」は、上野公園のベンチで隣り合った女性と偶然に知り合うこととなる。それが、喜和子という老女であった。喜和子さんは終戦の時には、孤児として上野のバラック街で暮らしていたという。

その後、紆余曲折を経て今は谷中で独り暮らしの身である。彼女は私に「夢見る帝国図書館」物語を書いてほしいと希望し、事あるごとに「書けた?」と訊いてくるのだった。

本書の表紙には、図書館の立派な書架の本と本の隙間に、その喜和子さんの住んでいた谷中の狭い路地裏風景が挿入されている。

戦前戦中戦後を生きた喜和子さんの歴史は、似たような中心点を持つ同心円上に同時代を生きた日本のすべての女性の生涯にもどこか似ているように思う。

飾り気のない喜和子さんの魅力に取りつかれた老若男女や、繊細な関係性を持つ彼女の家族たちが、ひとり一人生き生きと書き分けられていて素晴らしい。

彼らは喜和子さんを絶妙の距離感で遠巻きにし、喜和子さんは彼らをさらりと包摂する。それは、上野や帝国図書館が持っていた万人に対する包容力にも似ているのであった。二つの良き物語を読んだ。

 

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帝国図書館(現国際子ども図書館