遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

サラダ記念日/俵万智

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サラダ記念日  俵万智      河出書房新社

31年前の昨日、サラダ記念日が発行された。

俵万智ツイッターによると「31年前って中途半端な感じもするけど、短歌的には、めっちゃキッチリです。」とある。

蛇足ながら、短歌は「みそひともじ:三十一文字」で成り立っている。


「昭和62年」(1987年)、結婚間もない私は、ドラゴンクエストⅡに魂を奪われ、ファミコンのコントローラーを抱いて寝る、そんな、能天気な日々を過ごしていた頃であった。

時は、バブル真っ最中で、神田神保町の1坪の地価が4,950万円にまで高騰し、イケイケのお姉さんやお兄さん達が、ディスコで踊りクルっていらした。

そんななか、イケイケでない24歳の高校教師が1冊の本を出版、それが俵万智の「サラダ記念日」であった。

俵万智と同年代の角川の男性編集者が彼女を見いだし、月刊カドカワの連載枠に彼女を登場させるという厚遇。

なのに、「サラダ記念日」は角川から出版されることなく、河出書房から発行された。

当時の角川の社長角川春樹俳人だったから、俳句や短歌が売れないことはよく承知していたから、版権を放棄したのだそうだ。

わが書棚のその1冊の奥付を見ると、確かに1987年の発行であった。5月8日に初版が出て、私の所有本は 「6月27日 十三版発行」とある。

爆発的な売れ行きであった。

「サラダ記念日」の切り詰めた言葉の中に、ただ幸せではない傷つきやすい新鮮な生活感と、バブリーな世の中とは無縁の落ち着きを見いだした人たちが多くいたのであろう。私もその中の一人だったと、いまそう思うのである。


     ごめんねと友に言うごと向きおれば湯のみの中を父は見ており

     あいみてののちの心の夕まぐれ君だけがいる風景である

     ハンバーガーショップの席を立ち上がるように男を捨ててしまおう

     愛持たぬ一つのことば 愛を告げる幾十の言葉より気にかかる

     やさしさをうまく表現できぬこと許されており父の世代は

     我のため生ガキの殻あける指うすく滲める血の色よ愛(あ)し

     たそがれというには早い公園に妊婦の歩みただ美しい

     ため息をどうするわけでもないけれど少し厚めにハム切ってみる

     「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日