遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

SHOE DOG(シュードッグ) /フィル・ナイト

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SHOE DOG(シュードッグ)  フィル・ナイト  大田黒奉之 (訳)(東洋経済新報社


オレゴン州ポートランド出身で、ナイキの創業者フィル・ナイト(1938年生まれ)の半生を綴った自伝「SHOE DOG」のご紹介。(オレゴン州は、西海岸、北にシアトルのあるワシントン州カリフォルニア州に挟まれている。)

実に楽しい読み物だった。創業者による自社自賛の影は極力抑えてあり、スポーツ好き、サクセスストーリー好きのみならず、社会人でも未来の社会人でもリタイアした人でも、万人が楽しめる1冊である。

「『シュードッグ』とは、靴の製造、販売、購入、デザインなどすべてに身を捧げる人間のことだ」と本文にある。

ナイトは、オレゴン大学からスタンフォード大学に進みMBA経営学修士号)を取得した一方で、陸上競技にも励むアスリートだった。

彼は在学中に、日本のオニツカタイガー(現在のアシックス)の運動靴に魅了され、卒業後ハワイ経由で日本に向かい、神戸へたどり着きオニツカとシューズの輸入交渉にあたった。この「珍道中」は、東京五輪を2年後に控えた、1962年のことだった。

まずは、300足のタイガーを1000ドル(3.33ドル/1足)で輸入し、「ブルーリボン・スポーツ」と名付けた会社を起業し、1足6.95ドルで売り始めた。これがナイキの始まりである。

当時のアメリカでは、スポーツシューズの市場は、ドイツの巨大な2社アディダスとプーマが独占していた。そこに、日本製のタイガーを300足買付けてアメリカの西海岸にナイトは丸腰で切り込んでいった。

本書の見開きの脚注には、1962から1980までを表す直線が描いてあって、いま読んでいるその頁が何年のエピソードなのかが一目で分かるようになっていて、たとえば、オニツカから300足のシューズが到着した頁の脚注には「1964」とゴシックで表示されている。そのグッドアイデアのおかげで読者は常に年次を意識できる親切設計になっている。

映画の広告会社みたいな名のブルーリボン社は、1972年にそれまでのパートナーオニツカと決別して、ナイキと社名変更し、自社ブランドを立ち上げた。

そして、創業者フィル・ナイトを語り部とするナイキ・エピソードは、株式が上場された直後の1980年でおしまいになる。

ナイトは、株式の上場について頑なに拒否し続けてきた。それは、ナイキの創業の自由な精神を失うことになるからという理由であったのだが、その裏では、起業間もない不安定な企業のご多分に漏れず、資金繰りで汲汲として、創業精神などどこ吹く風、廃業の危険にいつも見舞われるのであった。

資金繰りや訴訟などで数々の危機に瀕したナイキの救世主として、オニツカや日本ゴム(ブリジストン)や日商岩井などの日本の企業が登場する。ナイキという会社や製品を知らない人は、少なくとも日本ではほとんどいないだろう。しかし、いまや巨大企業にまで成長したナイキの陰には、日本の企業が後ろ盾になっていたという事実を、本書で初めて知った。

またナイトは、本業だけでは食っていけないので、会計士の資格を取り、会計事務所で働き大学の会計学講師として副業を持っていた。しかし、数字は嘘をつかない、利益さえあがれば何をやってもいいという経営方針ではなかった。良い商品で多くのアスリートや少年少女に貢献したいという精神を持ち合わせていた。会計士である前に、ナイトは、毎晩6マイル(約10㎞)を走る一人のアスリート経営者でもあった。

そして、本書でナイトが用いた古いことわざ「商品が国境を越えれば、兵士が国境を越えることはない」は、すべてのビジネスマンが胸に刻むべき言葉であろう。