遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

アカデミー賞にノミネートされた「パワー・オブ・ザ・ドッグ」を楽しみました

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来月に授賞式が行われる第94回米アカデミー賞に、11部門でノミネートされた 「パワー・オブ・ザ・ドッグ」Netflix映画だと知り、さっそく自宅で鑑賞しました。

原作はトーマス・サヴェージの同名小説(角川文庫)で(名作ドン・ウィンズロウの「犬の力」とは別物です)、監督はニュージーランド生まれのジェーン・カンピオンです。本作を観終わってから彼女が「ピアノ・レッスン」(1993年)の監督だと知りました。

舞台は1925年のモンタナ州の大平原で、まだスーパーボウルの影も形もない時代のアメリカのお話です。

フィル(ベネディクト・カンバーバッチ)は、親から譲り受けた牧場経営を生業とする裕福なカウ・ボーイ(西部劇のガンマンではない)で、弟のジョージ(ジェシー・プレモンス)とともに10人ほどの牧童たちを率いて牧場経営をしています。

弟のジョージは、食堂兼ホテルを営むローズ(キルスティン・ダンスト)と結婚し、兄のフィルも暮らす大邸宅に同居を始めます。しかし、フィルはもともとその結婚に反対で、ローズが金目当てに近づいてきたと弟夫婦につらく当たります。

不潔で粗野で傲慢で知的で有能なフィルは、知的でなよなよしたローズの息子ピーター(コディ・スミット=マクフィー)にも「お嬢ちゃん」と呼んだり攻撃的で侮蔑的な態度を取り続けます。

ある年の夏、休暇で大学から戻ってきたピーターは、広大な敷地内でフィールドワークをするうちフィルの秘密に遭遇します。そのことを知ったフィルは、その後内的変化が表れ始め、マッチョではないピーターを受け入れはじめます。

「パワー・オブ・ザ・ドッグ(犬の力)」とは、旧約聖書で民を苦しめいたぶる悪の象徴という意味合いで使われていて、そのはっきりとは見えざる脅威から解放されるべく人は苦しみ闘うのでしょうか。

フィルは、映画の冒頭シーンでローズが経営する食堂で「アッ」という犬の力のような態度を見せつけますが、そのシーンは象徴的でした。

フィルの激しい気性と知的で有能なところは、まるで織田信長のようだといま感じています。子どもの頃、映画で観た中村(萬屋錦之助が演じた若い織田信長は、父の葬儀に粗末な野良着でやってきて抹香を祭壇に投げつけます。私はそのシーンしか覚えていませんが、忘れることができない激しいシーンでしたが、偶然かもしれませんが、フィルと信長は共通点があって不思議な気がします。

カメラは大自然に溶け込んで暮らす人とたちを大胆にとらえるだけではなく、むしろ彼らの心象をきめ細かく描写します。

カンバーバッチは、粗野だけど知的なフィルを好演していて、英国の知的俳優というイメージの彼の面目躍如といった感じ。

一方、一見スマートで牧童らしからぬしゃれた服装でお澄ましている弟のジョージは、実は空気を読めないダメ男として描かれています。兄弟の両親と州知事を邸宅に招いてた食事会の場でのピアノにまつわる「痛い」場面を演出するジョージの素朴さにいたたまれない感情を覚えてしまいます。(ここにも「ピアノ・レッスン」が...)

いまの日本でこの映画がどのように受け入れられたかわかりませんが、多国籍というか無国籍映画を作り続けて、あらゆる「境界」を溶かすようなNetflixの多様性を重んじる創作意識が感じ取れたでしょうか。

前半の嫌~な感じのフィルが、映画の後半には妙に受け入れられるように変化していくこの気持ちが、この映画の肝であるような気がしてきます。御用とお急ぎでない方は、ぜひご覧になっていただきたい一篇の物語でございます

パワー・オブ・ザ・ドッグ
The Power of the Dog
監督・脚本ジェーン・カンピオン(「ピアノ・レッスン」)
原作    トーマス・サヴェージ
出演者    
ベネディクト・カンバーバッチ(「イミテーション・ゲーム」)
キルスティン・ダンスト(「スパイダーマン」シリーズ)
ジェシー・プレモンス(TVドラマ「FARGO/ファーゴ」)
コディ・スミット=マクフィ
音楽    ジョニー・グリーンウッド(「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
配給    Netflix
公開    
2021年9月2日 (ヴェネツィア国際映画祭)
2021年11月17日 (アメリカ劇場公開)
2021年11月 (日本劇場公開)
上映時間    128分
製作国    イギリス、オーストラリア、アメリカ、カナダ、ニュージーランド

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