《内容紹介 空海は二人いた。民間信仰に息づく弘法大師を含めると、つまりは三人か。劇場型宗教リーダーとして、国土経営のブルドーザーとして生き、死しては民間信仰の柱として日本人の心を捉えてやまぬ男。わが国の形而上学の基礎を築いたのみか、治水事業の指揮まで執った千二百年前のカリスマ。一人の人間にそれを可能にしたのは一体何だったのか――。空海の足跡を髙村薫がカメラ片手に辿る思索ドキュメント。》
高村は私と同年の大阪生まれで、親近感がある。彼女は今は吹田市在住らしいから、いつか出会えるかもしれない。
その好きな作家が、私の畏怖し尊敬する巨人「空海」を書いたので、いつか読もうと楽しみにしていた1冊だった。
本書、私は勝手に小説だと思っていたのだがそうではなく、空海(774-835)と一緒に旅する、まるで絵に描いたような「同行二人(どうぎょうににん)」のスピリチュアルな歴史紀行文といった立て付けだった。
遣唐使として空海に課せられた中国への派遣期間は当初20年だったところを、空海はわずか2年で唐から帰国した。長安(西安)の青龍寺の僧侶恵果(けいか)の最後の弟子が空海であった。恵果は空海に「あなたが来るのを長い間待っていました」と最良の弟子として教義や経典を短期間で与えた後、数か月で息を引き取った。
33歳で帰国してから61歳で亡くなるまで、空海は真言密教を通して現世で生身の体で仏になる(即身成仏)を民に説いた。おびただしい経典を書写して普及させ、東寺を任され高野山を開き満濃池を整備し、亡くなってからは弘法大師として今に生きている天才自身とその足跡を、高村薫がゆかりの各地を訪れてクローズアップする。カラー写真も豊富で、楽しい。
文章家が丹精を込めて著述しているので、無学な私には時にぶっきらぼうな表情を見せる文章が続くが、緊張感が漂っていて扱う題材にふさわしい格調を備えている。情報量は多過ぎず、見慣れない仏教用語が多いが、脚注による語句解説や年表表記などがありがたい。恥ずかしながら、仏教や信心とはあまり縁がなく日本史にもうとい私のような者にも親切に書かれている。
また、「空海」のタイトル文字は、著者高村自身の手になるもので、清潔感と躍動感を備えている。