遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

進化する薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)

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叔母の49日法要で、粗供養にもらってきたフルーツケーキに手を出そうとした私に、妻から教育的指導が飛ぶ。

妻「お饅頭から食べて、日持ちしないし」

私「ああ、饅頭な。2個、箱入りのな」

妻「そう、じょうようまんじゅう!」

私「じょうようまんじゅう?どんな字?どんな意味なん?」

と、60年以上も生きてきてこの不思議な饅頭のことがよくわからない。
調べてみると、正しくは「薯蕷(じょうよ)饅頭」なんだとか。(上用饅頭でも間違いではないようだ。)

薯蕷(じょうよ)とは、自然薯(じねんじょ)、大和芋、山芋、つくね芋のことで、饅頭の皮の生地に、これらの芋が練りこまれた饅頭のことをいうのだそうだ。

関西では、祝儀は紅白のまんじゅうで、不祝儀が黄色と白のまんじゅうが定番。
子どものころはこの饅頭が嫌いだった。昔はテニスボール半分くらいの大きなまんじゅうで、皮がパサついていて、おいしくもなんともない無粋な饅頭だった。駄菓子の方がよほどおいしかった。

ところがだ、叔母の家の地元(泉州)の饅頭屋が作った饅頭(画像は無関係)なのだが、これがなかなかおいしくて感心した。叔母の粗供養饅頭がおいしかったこともあって、ハタと気付いた傾向なのだが、いつのまにかこの饅頭美味くなってきた。

今、薯蕷饅頭の大きさは、ゴルフボールくらいの大きさになって、皮はなめらかでパサつき感はなく、餡(あん)は上品な滑らかな濾(こ)しあんで、白い濾しあんとツートンの場合もある。

私はどちらかというと、粒あん大好き派だったのだが、60歳を超えて、上品な濾しあんが捨てがたいおいしさだとわかって来て、いまはどちらのあんでもおいしく食べられるようになった。

私の味覚が、上品さを捉えらえられるようになったのか、薯蕷饅頭が進化を重ねて上品な味を携えられるようになったのか、その両方なのだろうと思う。

今月は母方の叔母の49日法要が予定されている。こちらの地元は京都市郊外。こちらの薯蕷饅頭も楽しみになってきた。