遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

大らかな社会を目指して

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下は東京都現代美術館会田誠(会田家3人)の作品「檄」の撤去をめぐっての山崎雅弘の関連ツイート。

山崎 雅弘 @mas__yamazaki  
京大と731部隊の関連、ピースおおさか、七夕短冊、商店街の垂れ幕、制服向上委員会、自衛官のブログなど、第二次安倍政権が発足してから、現政権の政策方針に不都合な内容が含まれる対象が撤去されたり削除されたり後援が取り消されるケースが続いている。役所の事なかれ主義が、それを後押しする。

会田の檄文は垂れ幕に文章が書かれたアート。文章の内容は、文部科学省を批判したもので、美術館の会員(1人!)がその内容にクレームをつけ、待ってましたとばかりに美術館と東京都が作品(「檄」と、アメリカで演説する総理大臣のビデオ作品)を撤去した。
そもそも会田誠作品を展示すること自体が、彼の過去の作品から推量すれば、相当アバンチュールなことを覚悟しなければならない。その覚悟がキュレーターになかったはずはないと私は思う。

近代や現代と名のつく美術館で展示作品を観たことがある人ならわかるだろうが、「何これ?」と首を傾げたり、「気持ち悪い!」と不快感を感じる作品が展示されることは普通のこと。不快なら、その作品はスルーすればいいだけ。撤去する必要はないのではないだろうか。極論を言えば、芸術なんて好き嫌いの世界なのだから、いやなら見なければいいだけ。この美術館のキュレーターは公務員だから、上層部からのお達しをきいただけかもしれないけれど、つらい立場なのだろう。

それに少し似た話で

ジャポニカの昆虫シリーズノートの表紙を見て「ママ昆虫気持ち悪い」と言った子供が何人いたのか知らないが、そのために廃刊になった昆虫ノートも象徴的だ。昆虫大嫌いなうちの娘(もう大人だけど)に、子どものときあのノート大丈夫だった?と訊いたら、「あれは写真だから大丈夫」。そういうお嬢ちゃんもたくさんいると思う。この度、望まれて一部復刊されたらしいが、ノート会社は廃刊することはなかったろうに。

新幹線内で焼身自殺したからと言って、JRは手荷物検査などやらないでもらいたいものだ(やらないと思うけど)。新幹線運行が始まって以来の長い歴史の中で、通常では考えられないリスクが1回顕在化しただけのことなのだから。亡くなられた方はまことに気の毒だったが、許容範囲内のリスクなのだから。

結論として

安保法制が廃案になったとして、次に撲滅すべきは洗練された社会作りに逆行するような流れだろう。びくびくぶるぶるした人間をどう救済してやるのかという社会問題であろう。わが国は、大らかな楽しい成熟した社会をなぜ目指さないのだろうか、大きくて深い問題である。