監督 黒澤明
脚本 黒澤明
原作 富田常雄
小学生の時に見たテレビ映画の「姿三四郎」(主演は倉丘慎太郎)を毎週愉しんでいた。今調べてみると、フジテレビ系で毎週月曜日の20時から20時56分の枠で、1963年11月18日から1964年5月11日まで放送されたとある。主題歌は村田英雄が歌い、歌詞さえあれば私はいまでもこの主題歌を歌える。
1941年に監督にまで上り詰めた黒澤明の前に、戦争という時代の壁が立ちはだかった。軍による言論統制により映画シナリオは厳しく検閲された。黒澤明は検閲によって監督デビューできないままであった。そんなとき、軍部が好むテーマを織り交ぜたシナリオが出来上がり、軍部の検閲にもパスした。それが「姿三四郎」であった。
ボロ雑巾のような柔道着をまとった姿三四郎(藤田進)に対して、ライバル桧垣源之助(月形龍之介)の三つ揃いのスーツにフロックコートのファッションは、暗に鬼畜米英をシンボライズしたものだと思うのは考え過ぎだろうか。ボロを着た三四郎に「欲しがりません勝つまでは」を象徴させ、敵役に鬼畜米英の格好をさせることにより、戦意高揚感があるシナリオでしょ!として、検閲を通したのかもしれない。
スクリプター野上照代の話によると、黒澤は検閲を受けたシナリオを撮影現場でどんどん切り捨てたという。たとえば、大河内傳次郎演じる矢野正五郎は日本の精神主義のサンプルのような人物に仕立てあがっていたのだが、国策的なセリフは削られたという。
さすがに戦時中に反戦主義のような映画は作ることはできないだろうが、暗い時代にできるだけ娯楽性のある映画を作って国民に喜んでもらおうという黒澤の願いは叶い、デビュー作にして異例の大ヒットだったという。
柔道の緊迫した試合のみならず、三四郎と小夜(轟夕起子)の、切れた鼻緒を挿げ替えてやったり、目に入ったごみを取ってやったりといった淡いラブ・シーンもあり(その後の「赤ひげ」の桑野みゆきと山崎努を思い起こす)、何とも心が和むのである。
言論統制や検閲や権力に屈することなく、人々の娯楽のために、いいシナリオのベース(原作やアイデアの素)を探し、脚本に仕立て、撮影前の絵コンテで映像イメージを具体化し、役者をそれにあてはめ、大衆に喜ばれ圧倒的支持を獲得した黒澤明の「原点」がデビュー作の本作に存在し、その後の作品にも引き継がれるのである。
本作は、奇しくも72年前の今日3月25日に公開上映された。