遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

虎の尾を踏む男達/黒澤明

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虎の尾を踏む男達

監督・脚本 黒澤明
出演者
富樫:藤田進
強力:榎本健一
亀井:森雅之
片岡:志村喬
伊勢:河野秋武
駿河:小杉義男
常陸坊 : 横尾泥海男
義経:仁科周芳(十代目岩井半四郎
梶原の使者:久松保夫
富樫の使者:清川荘司
公開 1952年4月24日 上映時間 59分

子どもの頃、テレビで観た「エノケンのとび助冒険旅行」。主人公のとび助(榎本健一)が、少女と冒険旅行をする、私が人生で初めて見たロードムービーなのだが、旅の途中でとび助と少女が化け物と出会い怖い目に遭う話で、ハッピーエンドだったのだが、子ども心に怖い映画だと思ったことを今でも覚えている。同時に、エノケンという俳優を知った。いまでも私は榎本健一は、飛び切り歌のうまい俳優・コメディアン・ボードビリアンだと思っている。

「ホホイのホィーと、もう一杯」と歌う「渡辺のジュースの素」や「うちのテレビにゃ色がない」で始まるサンヨーカラーテレビのCMソングで、私は彼の歌を取り込んだ。また「私の青空」や「洒落男」などの突き放したように歌う唱力は天下一品で、私のなかでは「楷書の藤山一郎」「草書の榎本健一」が、男性歌手の双璧である。

前置きが長くなったが、黒澤明の「虎の尾を踏む男達」でも、榎本健一はひとり異彩を放っている。

本作のベースとなるのが「勧進帳」で、そう書いただけでネタバレになるストーリーなのだが、古典はそれをどう表現するかが問題なので、ネタバレを気にするお方はいないだろう。ただ、タイトルの「虎の尾を踏む男達」というのは、印象的で良い出来である。

弁慶(大河内傳次郎)、富樫(藤田進)、亀井(森雅之)、片岡(志村喬)、伊勢(河野秋武)らの「続姿三四郎」「わが青春に悔いなし」に出演していた黒澤組の役者が勢ぞろいしている。加えて、歌舞伎界から、義経に若き岩井半四郎が抜擢されている。

これらの、芝居ができるシリアスな俳優たちは、何を言っているのかよく判らないような、まさに歌舞伎の勧進帳のような演技をする。

その中で異彩を放つのが、榎本健一の強力(荷役として雇われている男)。タップダンスこそ踊り出さないが、エノケンボードビリアンのような軽快でコミカルな歌や踊りやセリフは、鎌倉時代から現代へと時空を飛んでいる。また「七人の侍」の菊千代(三船敏郎)を彷彿とさせるところもある。「七人の山伏と強力」というタイトルでも通りそうな、本作におけるスリリングな話の展開なのである。

この映画は検閲が通らなくてお蔵入りになっていたが、歌舞伎の勧進帳を冒涜するようなくだらないつまらない作品だと、検閲官が認定したという。違いの判らないくだらない検閲官だったのである。

話しがまたそれるが、落語家の桂三枝(現在は文枝)が流行らせた意味不明な掛け声「オヨヨ」のオリジナルは、桜井長一郎という声帯模写の第一人者のおはこだった、大河内傳次郎の物まねに由来する。私が子どもの頃、寄席番組で桜井長一郎が「大河内のオヨヨ」セリフのものまねをし、それが受けていたことをよく憶えている。私は大河内とは桜井長一郎を通じて出会っていた。

本作でも大河内傳次郎は、オヨヨ調のセリフを吐く場面が何度もあった。彼の存在感はとてもすごくて大きくて、これ以上の弁慶を望むことはできないほどの素晴らしい演技だった。
大河内の真骨頂の「丹下左膳」シリーズは見たことはないし、今般黒澤のデビュー作「姿三四郎」「続姿三四郎」「わが青春に悔いなし」の3作と本作で、大河内を初めて見たが、名優の称号を捧げられる個性と存在感であった。

上記の画像は、白紙の勧進帳を朗々と読み終えた弁慶と、何も書いていない白紙の勧進帳を見て心底驚く強力のカット場面である。この作品はこの二人の大俳優の実力を見せつけられる作品である。

また、飄々としている富樫:藤田進と、山伏たちが義経一行だと見破りヒステリックに富樫に迫る久松保夫(「日真名氏飛び出す」)も、見事な演技。
全編バックに流れる男声コーラスはちょっと不気味だが、山伏たちの声明に聞こえなくもないのでそこは大目に見ることにする。

終戦間近に製作された黒澤明の自身第4作目。この複雑な脚本を書き、そうそうたる俳優陣を指揮し、映像美や様式美や時代考証も見事なもので、脚本も演出も演者も美術も衣装も素晴らしい黒澤芸術であった。

ラストシーン、六方を踏むエノケンのはるかかなたのアカネ雲の空は、本物だったのだろうか。セットだったのだろうか。
どちらにしろ、絵に描いたような見事な大空であった。