遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

歌謡曲が聴こえる/片岡義男

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謡曲が聴こえる 片岡義男    (新潮新書)

1962年、大学4年時の夏休みを千葉の館山で過ごした片岡義男は、千葉からのフェリーの臨時便で竹芝桟橋に帰京した。その竹芝桟橋の特設ステージでライブで歌うこまどり姉妹と遭遇する。その時の心境を本書で片岡は以下のように表現する。

《 良く出来た歌謡曲という不思議なものが、いくつも持っているはずの奇妙な棘のうちの一本が、僕に初めて突き刺さった、という比喩で語っておこう。このとき埠頭で聴いたこまどり姉妹のこの歌だけに反応したのではなく、良く出来た歌謡曲というものぜんたいに対して、僕のなかのなにかが、このとき初めて、強い反応を示した。》

まだ就職先も決まっておらず、ひと夏を館山でぶらぶらしていた片岡は、少なからず将来に不安を抱えていたのではなかったかと想像できる。そういう精神状態の時、人は「何か」を始めるのかもしれない。片岡は自宅に帰る前にレコード店に立ち寄り、竹芝桟橋で聴いたばかりの曲を店主に口ずさんで示し、こまどり姉妹のレコード「ソーラン渡り鳥」を購入する。その歌で歌謡曲に魅了された片岡は、その後全音楽譜出版社が刊行している「全音謡曲全集」を発見し購入する。

この「全音謡曲全集」は、時のヒット歌謡曲の楽譜と歌詞を6か月遅れくらいで収録された冊子であり、いまも発行されている。片岡は、その後7年にわたり最新号を購入し続ける。同時に、数年過去にさかのぼって「全音謡曲全集」を第1号まで全巻購入する。社会人になった彼は、いつも「全音謡曲全集」を持ち歩き、楽譜と歌詞を熟読しレコードを買い求める生活をしたという。

そういう一時代を過ごした片岡が、いまこの新書「歌謡曲が聴こえる」で、こまどり姉妹並木路子田端義夫ナンシー梅木フランク永井松尾和子、和田弘とマヒナ・スターズ、そして、美空ひばりを語る。彼らの歌(曲と詞)や楽器や衣装や発声や唱法を端正に綿密に語る。

私はなぜか音楽は何でも聴く、歌謡曲や演歌や日本民謡は、ビートルズやジャズやクラシックに負けないくらい好む。1960年代から1970年代を学生だった私は、片岡義男が本書で語った歌や歌手と同時代を子どもとして共有している。それらを本書で小説家の端正でていねいな文章を通して、大人として追体験できた。とても良い体験であった。

以下のYouTubeの動画は、本書で紹介された歌の一部である。大人になって本書を読了して後に聴く歌は、どれも心にしみじみ響いてくれ素晴らしい。とりわけ、田端義夫の「かえり船」の歌唱は秀逸で、敗戦後大陸から引き揚げてきた兵士たちの情念を想像すると、涙を禁じ得ないものである。

こまどり姉妹/こまどり物語 (6分15秒から「ソーラン渡り鳥」)

かえり船 田端義夫.

有楽町で逢いましょう フランク永井