遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

車椅子の研修生からの手紙

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わが社は4月1日が人事異動、

わが部門のスタッフの一人が他部署に異動となる。

彼は入社以来わがスタッフとして働いて4年になる。

こちらとしては、将棋で言えば「飛車」か「角」を取られたような気分であるが、

異動先で彼は「桂馬」クラスからのスタートになるが、

請われて異動するうちが花だし、涙をのんで彼を送り出すことにする。

(私はわがスタッフを、将棋の駒のようには思っていない、

飛車だの角だの桂馬というのは、単なる例えであり、

次に書こうとしている将棋の記事の伏線でもある。)




さて、それに先立ち3月のはじめわが部門は、2週間にわたり研修生を受け入れていた。

もし研修生クンとこちらの相性がよければ、正職員として雇用するという条件が、

そういう重い条件が、この研修についている。


研修生クンは、高校時代に事故で車椅子生活を余儀なくされた、

21歳の若者であった。



ケガした当初は暗澹たる暮らしだったようで、しかしそこから何とか立ち直り、

職業訓練センターでコンピュータ関連やその他の資格を取りながら、

社会人として暮らしていける下準備を重ねてきたと、自己紹介文で書いていた。



彼の巣立ちを望んでいる職業訓練センターの職員とのヒヤリングでは、

「研修生クンには、肩の力を抜いて、

本職としてさらに研修を重ねていくつもりで来ていただいたら、

それで結構です。」と言ったものの、

実際に研修生クンを見るまで、職場でどういうことになるか想像がつかなかった。


ただ、研修初日に研修生クンを見たときに、

私の直感では、彼がうちの職員になってくれてもいいかと思った。

私は、人事の採用担当にはなれない騙されやすいお人好しであるから、

私ごときの直感は、甚だ当てにはならないのだが。

それでも、事前に履歴書を見て自己紹介文を読んでいたこともあるが、

実際に彼を見て、話をして顔つきを見て、いい青年だと思ったのであった。



2週間の研修では、彼の周囲のうちの若いスタッフの態度に好感を持った。

自分の仕事もあるなかで、研修生クンの面倒をよく見てくれた。

私はそれが実はいちばん嬉しかった。



研修期間が過ぎてしばらくして、研修生クンからわが部門に手紙が来た。

暖かく接してくれたことに感謝し、社会人としてやっていける自身が少し湧いてきたと、

そういう嬉しい内容であった。



うちのスタッフからは、彼がうちで働くことについて支障はないとの結論を得ているが、

彼がうちに来てくれる決心をしたかどうかは、研修生クンの手紙からははっきり読み取れなかった。

彼がどこで働こうとすぐ「金」くらいにはなれるような気がする、

ま、周囲の温度によるとは思うけれど。