遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

秘密/東野圭吾

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秘密 文春文庫
東野 圭吾 (著) 価格: ¥660 (税込)


芝居っ気がなく、素のままで仕事をしている男の部下がひとりいる。

彼には、「化けろ」「大芝居を打て」といつも言い聞かせるが、

それが出来ない。たぶん、いつも素のまま。


人は時に、「化粧して、晴れ着を着せた」自分を、

自らの肉体に乗り移すことが必要だけれども、それが出来ない。

必要だと思っていない、のかもしれない。


だから、大きな声が出せなくて、いつも至近距離に居て話をする。

会議やミーティングでは、声量が足りないから、よく誰かに聞き返される。

それでも、彼の仕事は、決して単純なものではないのだが、

滞りなく進んでいて、何も問題がない。


本当の自分を人前にさらけ出さずに生きていけるのは、

幸せなのかどうだか、とも思うけれど、

違う自分が自分の肉体に乗り移っていて、

芝居をしている自分が、素のままの自分をコントロールしている。

それだって、「自分」なのである。



第134回直木賞を、6回目のノミネートの東野圭吾がついに受賞した。

私は「秘密」しか読んでないが、おめでとう。



「秘密」は映画化もされていて、ストーリーは世にちょっとは知られているか。


主人公の妻と娘が交通事故に遇い、妻は亡くなり娘だけが助かる。

しかし、主人公のもとへ帰ってきた娘は、

肉体は娘なのだが、魂は妻が乗り移っているのである。


なので、主人公は、娘に姿を変えた妻と暮らすことになる。

姿かたちも声も、年齢も我が娘なのだが、精神は妻なのである。


著者は、このような設定で、読み手を楽しませてくれる。

考えさせて、悩ませて、苦しませてくれる。 


私の異性を好きになる基準は、精神的な持ち物7割、

肉体的な持ち物3割くらいの割合であるが、

一般的にもこんな割合か。


しかしその割合で好きになった相手が、違う肉体を持ったらどうなんだろう。

誤解があるといけないのでもう少し説明すると、

好きになった人が、たとえば視力を失ったとか、歩けなくなったとかということではなく、

まったく別人の肉体になれば、どうなんだろうかと思う。


しかもその肉体が、我が娘なのだから、現実にはありえないことだけど、

複雑な家族を、東野は深刻な筆致ではなく、やわらかく表現する。


このやわらかい表現が、心にずしりと重みを残すことになる。


TVドラマ「百夜行」も現在放送中で、直木賞も受賞して、

東野ワールドに魅了される人たちがますます増えてきそうである。