2021年1月に発表された第164回直木賞の受賞作、西條奈加の「心淋し川(うらさびしがわ)」を読んだ。
時代は江戸、いまの東京の根津・千駄木に近い「心町(うらまち)」という架空の下町が舞台の物語。
根津といえば私にとっては「根津美術館」だが、その根津がどこなのかおぼつかなく、本書を読み始めてからネットの地図で根津・千駄木界隈を訪ねて位置確認をする。
心町はいろいろ過去のある人たちが集まってきた最後に行きつく場所のような下町で、江戸の時代考証がきちんとなされたであろうと想像できる下町の風俗や風景が、落ち着いた文体でしっかり描写されている。
その小さな町に住む貧しくて淋しい人たちの全6話の物語が1冊におさまっている。
淋しいからといって必ずしも不幸せだとは限らないが、登場する男女の来し方を読んでいると、まるで現代人の等身大の形をしているではないかと気が付く。架空の町で暮らし、創作でフォルムを与えられた人たちが、とても近くに感じられるのだ。彼らの「思い」の深さが手に取るように理解できて共感できるのだ。派手なパフォーマンスはないが心に染み入るエピソードが全6編に折り重ねられている。
黒澤明の「どですかでん」の原作である山本周五郎の小説「季節のない街」の、江戸時代版小説のような横顔も持っている。
登場人物たちは、6編をクロスオーバーして登場するのだが、脇役が後段で主人公になったり、ある人の素性が「エッと」驚きとともに明らかになったりと、飽きさせない構造を備えている。
著者の西條奈加は、時代小説だけでなく現代を舞台にしたりファンタジーやユーモア小説も書く多彩な作家で、直木賞を受賞する前から数年先まで小説の仕事で埋まっているのだそうで、編集者の行列待ちができる作家のようだ。
本書を読んでいる間中、読み手は心町の住人になった気がするはずで、小説でワープしタイムスリップする特典を享受できるのであった。