遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

熱帯/森見登美彦

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 熱帯    森見 登美彦   文藝春秋

同じ所をクルクル回っているようで少しずつ進んでいる螺旋状の物語のようだと、感想に書こうとした。でも、同じところを何度も通り過ぎて円運動をしている「フーコーの振り子」と表現したほうが近い物語であった。

一日かかって最初の軌道を通る振り子のように何事もゆっくり変化していく。でもそれは、振り子が変化しているのではなくて地球が動いているからそのように見えるだけのことなのである。

森見登美彦の「熱帯」は、佐山尚一という作家の「熱帯」という小説がモチーフになって物語が動き始める。佐山の「熱帯」は結末が分からないままの謎の小説として物語の核となる。

本書の冒頭、東京の模型店の店番をしている白石さんと、お昼休みにいつもやってくる池内さんは佐山の「熱帯」を読んだことがあるということで急接近する。池内さんの参加する読書会のメンバーも佐山の「熱帯」を読んだことがあるにもかかわらず、結末がなぜかわからないのだった。

池内さんは「熱帯」探しの旅先に京都を選ぶころになり、まだ始まったばかりの物語を読んでいる頃は楽しくてワクワクしていた。しかし、そのワクワク感は、舞台が京都に飛んで絶頂を迎えたと思ったとたん、熱帯に連れていかれてからは少しずつ違う感じに変化していった。

きっと直木賞の選考委員も多くの読者も、私と同じようなへんてこりんな気分になっていったと思う。しかし、そのあたりが森見ワールドなんだと思う。

森見登美彦は、「夜は短し歩けよ乙女」「夜行」「熱帯」で三度の直木賞候補になっている。

夜は短し歩けよ乙女」の時は井上ひさしに高く評価されていたし、同作での山本周五郎賞では北村薫小池真理子重松清篠田節子に強く押されて見事に受賞している。私もこの作品は非常に好きな作品だった。いまだに読まれ続けている立派な小説である。

本書「熱帯」も「夜は短し歩けよ乙女」の面影がある。「ねじまき鳥クロニクル」にもよく似ている。「海底二万里」や「神秘の島」のオマージュがちりばめられているし、「ロビンソン・クルーソー」「宝島」「山月記」のDNAも組み込まれている。そして何よりも「千一夜物語」が骨格の中心をなしている。

朝になれば王に殺されないように、妻のシャハラザードは夜な夜な面白き話を「続きはまた明日」という風にエンドレスでつなげていくのが「千一夜物語」。

小説家でなくとも、旦那に殺されないようにする妻でなくとも、「フーコーの振り子」のように少しずつゆっくりと終わりのない物語を紡いでいくのは人間の性なのだろうか。粘って生きていく勇気を森見ワールドから享受した。もう年老いた文学賞の審査員たちには、分かり難い世界なのかもしれない。

正直、読了出来て達成感を感じている。よくぞ途中で投げ出さずに読了したものだ、私の好奇心や粘りもまだまだ捨てたものではない、と自己満足。

本書は第6回高校生直木賞の受賞作になった。ベストセラーにもなっているが、この記事を書き終わってから多くの感想や書評を読んでみようと思っている。それも楽しみだ。