遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

千葉真一さんと笑福亭仁鶴さんのこと

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七色仮面」と「アラーの使者」

千葉真一さんと笑福亭仁鶴さんが亡くなられました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

子どものころからテレビやラジオで親しんだお二人だったので、遠い思い出を少しだけ記事にしました。

千葉真一さん

子ども時代の私のヒーローは「月光仮面」でした。1958年(昭和33年)2月24日から1959年(昭和34年)7月5日まで放送されていて、自宅にはまだテレビがなくて近所の家で見せてもらったかもしれませんが、とにかく私のなかでは他の追随を許さないスーパーヒーローでした。月光仮面を演じる大瀬康一はハンサムでかっこいいお兄さんでした。その少し後から放送が始まった二代目の「七色仮面を演じたのが千葉真一でした。

彼も若くてかっこよくて、七色仮面の扮装をして二丁拳銃を持ったままバク宙ができる「新七色仮面」に夢中になりました。あのバク宙は、千葉真一が本人がやっているのだろうかというのが子どもたちの間で話題になっていました。どうやら本人がやっていることが判明して、子どもたちのなかではスタントマンを擁しないかっこいい真正のアクションスターが登場したのでした。

その後、「新七色仮面」の後番組で、千葉真一「アラーの使者」という白いターバンを付けた月光仮面のようなスマートなヒーローを演じました。

アラーの使者は、七色仮面のようにフルフェイスの被り物ではなかったので、アラーの使者の「なかの人」は千葉真一だとはっきり判るヒーローでした。

「新七色仮面」と「アラーの使者」が放送されたころはわが家にもテレビがあって、自前のテレビで見る最初のヒーローを千葉真一が演じていました。それからテレビでは空白期間があって、8年後くらいから「キーハンター」が始まりますが、こちらも楽しく見ていました。

「新 七色仮面」放送期間 1960年1月7日 - 6月30日 全26話

「アラーの使者」放送期間 1960年7月7日 - 12月27日  全26話

キイハンター」放送期間 1968年4月6日 - 1973年4月7日

 

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笑福亭仁鶴さん

彼の存在を知ったのは小学6年生のころで、3歳年長の従兄から教えてもらった深夜ラジオのパーソナリティとしての笑福亭仁鶴でした。

その番組は、深夜2時30分から3時間の放送だったラジオ大阪「オーサカ・オールナイト 夜明けまでご一緒に」で、週1回仁鶴が担当していました。

中学生になった私は、定期テストのときなど時々仁鶴の放送を聞いていました。深夜ラジオでパーソナリティ自らが演出する面白さに「ああこういう世界があるんだ」と目覚め、その後ほかの放送も含めてラジオに夢中になりました。

それは、いまの中学生がYouTubeに夢中になるのと同じことで、YouTuberはかつての深夜ラジオのパーソナリティに相当するのだと思います。

仁鶴は、タレントであるとともに上方落語もきちんとやる芸人で、彼の落語をたくさん聞いて多くの古典の演目を知りました。

彼の演目で私が好きだったのは、「青菜」「初天神」「池田の猪買い」「延陽伯」などなど。桂枝雀のような爆発的な面白さはないものの、天下の人気者が正調の落語を演じることで客席の噺家に対する集中度は大変なもので、仁鶴は上方落語の普及に欠くことのできない大きな存在だったと思います。

吉本興業という芸能プロダクションに特別な思い入れはありませんが、もし半世紀前に笑福亭仁鶴という芸人・タレントが存在しなかったら今のような吉本はなかっただろうと思います。いろんな意味で吉本では別格の芸人だったと思います。