遊びをせんとや生まれけむ

あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。夏目漱石

日本語と英語のバイリンガルが増えれば未来は明るい

f:id:toship-asobi:20191031001553p:plain

 「身の丈」発言で炎上し物議をかもしている萩生田文科相

 きょうの国会・衆院文科委員会での萩生田の答弁を見ていると、大学入学共通テストの英語民間試験はまだ準備不足だし欠陥だらけで、導入は延期されるかもしれない。

 萩生田がBSフジで「身の丈」発言をしていなかったら、野党はこんなにも追及していなかったような気もするので、もし、とりあえず英語民間試験の導入が延期になったら、萩生田のグッジョブだということでほめてやりたい。

 ただ、日本の英語教育については抜本的に考えるときに来ていると思う。大学入試に焦点を合わせたつまらない英語教育が、中学高校と6年間も続いていて(いまは小学校から延々と続いていくことになっている)、英語が一般的な教養ではなくなっているのが悲劇の始まりのような気がする。

 たとえば、文化芸術や社会科教育を英語の授業と、英語教育を一部マッチングさせればいいかと思っている。アニメ・音楽・映画・美術・政治・経済・地理・歴史・時事などと英語教育とをうまくマッチングすれば、今より楽しいだろうと思う。

 そうすれば、個人差がでるだろうけど、コミュニケーションツールとしての英語能力が今より格段に身につくようになるだろう。自分に英語という教養があれば、どんなにか楽しい人生だったろうかと思うと、いまさらながら残念でならない。

 英語教育を長時間受けて、大学入試に難しい英語が出題されているにもかかわらず、世界で一番英語が通じない国は日本なのではなかろうか。

 日本のほとんどの政治家は英語を習得していないが(日本語さえおぼつかない)、皇室を見ていると、とりわけ今の天皇や皇后を見ていると、通訳なしで外交ができている。また、各国の元首や代表も英語ができる。英語圏でなくとも、元首でなくとも、英語を習得している人はとても多い。日本も、国内に居ても何とかそれに追いつく教育を実施する時期だろう。

 言葉の習熟が世界で最も難しいとされている日本語を、世界中の若者が日本のアニメを見て習得したというケースを何度も目にしている。日本に興味を持つ若者はアニメがそのきっかけになっているケースが多いのだが、日本語を習得するきっかけがアニメキャラのセリフであることが少なくないのは当然の成り行きだと思われる。

 その逆バージョンで、先に述べたように、エンターテイメントや文化芸術や社会科教育によって英語を身近にするという方法も有りのような気がする。

 インターネットの発達により、英語の教材はインターネット上に山とある。というより、英語の情報がそのほとんどだと言ってもいいのではないだろうか。

 日本の国際化のために、日本脳を世界のスタンダードに合わせるためにも、日本語と英語のバイリンガル人間が増えれば、島国根性が希薄になっていき、この国の未来も明るくなってくるような気がする。

 いまとなっては、英語入試のことより、英語教育のありようを考えるべき時期なのだろうと思う今日この頃である。